●気が重くなる山県昌景の北安曇制圧戦 | きょうのもののふフォト列伝 ー古戦場 城 もののふ 旅ー

きょうのもののふフォト列伝 ー古戦場 城 もののふ 旅ー

熱く 燃えて 散って 逝った 我ら祖先のもののふ達 その懸命な生きざま姿を追う旅を続けています。

山県昌景のイメージ画が出来てきた。
卒業生の小林メルベ陽子さんは昨今お抱え絵師のごとく。
かくのごとく、なかなか風貌の昌景だ。
 

昌景に関する小説は、この小川由秋氏の一冊のみだろうか。
 

北安曇での昌景の動向は不覚にもまったく知らなかった。
スキー場とそこへ行く道以外何も知らなかった。

伝承の域ともいわれているが信濃の北安曇制圧に、昌景は強く影をおとしていたのである。
地元での昌景の殺戮戦はなかなか衝撃的であった。

戦国時代のこととはいえ、白馬村のさわやかな風光の向こうに昌景の徹底した掃討戦があったのだ。
 

平倉城(小谷村)では城兵のみならず、住民もみな殺され、幼子の女児のみ助けられたという。
地元には「切った屋敷」などという地名も残っているとか。

謙信VS信玄戦の最前線だったとはいえ、平和な山里にも哀しい伝承が残っていた。

長篠古戦場の昌景墓地などには何度か足を運んだ。
 

…長篠の合戦で采を咥えて討ち死にした。
 
上の写真の後方、左右につながる森が家康方の陣地。
 
▲長篠古戦場の真ん中に無粋にも高速道路が走る

…勝頼は、昌景らの「全軍の総攻撃を一旦控えては」という進言を結局聞き入れられなかった。
…仕方なし、ついに不死身の昌景も死を覚悟する。
などの逸話は以前からよく知っていたのだが。

これからはすぐに足を運べる北安曇の史跡も丹念に歩いてみようと思う。

狭量な気持ちではあるが、同じ信州人がこう次々と武田にやられると、いささか侘しくムッとくるのである。
平倉城全滅の4年前にも、わが安曇野市の小岩岳城が城主はじめ500人以上が殺戮されている。

戦国時代とはいえ…。
さて、それらを念頭に「信州往来もののふ列伝 巻88 山県昌景伝」をまとめねば。
なんとなく筆がのろくなっている。

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