●「なぜ山県隊はかくも強いのか?」「それはまず…」 | きょうのもののふフォト列伝 ー古戦場 城 もののふ 旅ー

きょうのもののふフォト列伝 ー古戦場 城 もののふ 旅ー

熱く 燃えて 散って 逝った 我ら祖先のもののふ達 その懸命な生きざま姿を追う旅を続けています。

………山県昌景は「赤備えの山県」、馬場信春は「鬼美濃」などと呼ばれ、あるじの信玄よりも他国で名が知られるほどの猛将の家臣がズラリ揃っていた………。
などと、まるで自分が信玄のような気になって、しばしば豪語したものだった。
信玄の家臣についての話は楽しかった。

そして今、山県昌景
なかなか信州人としては複雑な気持ちで書きまとめました。
それにしてもつくづく。
信州の戦国武将たち、謙信と信玄にやられたなぁ。
結局残ったのは真田くらいか。


山県昌景(やまがたまさかげ 1529?1575) 戦国時代の武将。
武田信玄・勝頼に仕えた重臣、武田四名臣の一人。
当初飯富
(おぶ)姓。後に武田の名家・山県姓を与えられる。
信濃の侵攻戦や川中島合戦、三方ケ原の戦いなどで赤備え隊を率い、武田最強部隊と敵味方に畏敬される。
天正3(1575)年の長篠の合戦で織田・徳川軍と激戦、乱軍の中で戦死。享年47か。

 

「昌景、あすはそちの旗を…瀬田(滋賀県大津市)に立てよ…」

元亀4(1573)年4月、南信濃の山中で死の淵にあえぎながら信玄は遺言のごとくこう呻き息を引き取ったという。
朦朧とした意識の中にあっても、率いる軍団は燎原の火のごとく瀬田の橋に迫っていたのだ。
 

橋を渡れば都は目と鼻の先、山県昌景の赤備えを先鋒に信玄は上洛を果たさんとしていたのである。

 

この時、先鋒を命じられた昌景は、家康も信長も恐懼した武田最強軍団であった。
元亀3(1572)年の三方ケ原の合戦で家康は、赤色に染まった昌景隊に完膚なきまで突き崩され大敗、浜松城に逃げ帰った。


後に家康は武田が滅亡すると昌景の家臣を積極的に招き入れ、井伊直政の配下に付して赤備え隊をなした。
さらに真田信繁(幸村)が大坂の陣で赤備えを組織、「最強部隊・先鋒・斬り込み隊」=赤備えの呼称が定着した。

 

昌景は信玄宿将の一人・飯富虎昌の弟(甥とも)で源四郎といい、15歳頃から信玄の近習として仕えた。
信玄はその才覚・勇猛ぶりを高く評価した。

後のことだが、永禄4(1561)年の第4次川中島合戦での昌景のすさまじい強勇ぶりについて、
「四尺三寸の大太刀を差しかざし、縦斬り、輪斬り、膝折、腰車と切り伏せに切り伏せる」
と、古書「甲越信戦録」は描いている。

 

その5年前、まだ飯富源四郎の頃。
昌景のあまりの強将ぶりに敵も味方も恐れおののいたのが信州・北安曇の制圧戦であった。

弘治2(1556)年春、松本平を手中にした信玄は越後境の北安曇の動向に神経をとがらせていた。
現在の青木湖以北の国衆が越後の謙信と結ぶことを警戒したのである。
その制圧の任を命じられたのが昌景であった。

昌景はまず千見(せんみ)(大町市美麻)に拠る大日方直長を急襲、立てこもる城兵を完膚なきまでに壊滅した。
さらに北へ侵攻、飯森城(白馬村神城)の勇将・飯森春盛を攻めた。
昌景の猛攻に恐れをなした春盛は一夜にして城を退去、越後へ奔った。 

春盛にとって不名誉なことに飯森城は以後「一夜山城」と呼ばれた。

雪が消えた翌年春、春盛は飯森城を奪還せんと越後から戻り、まず平倉城(小谷村)に拠った。
しかし昌景はこれを猛攻、上杉の援軍が駆けつける前に城を落とし春盛は討ち死、城兵はことごとく撫で斬りにされたという

以来およそ450年、今は碧空を背景に北アルプスを仰ぐ白馬村一帯は、阿鼻叫喚の戦国の世がまったく嘘のような風光明媚な景色が広がっている。

  

小兵だったといわれる昌景に、ある将が聞いた。
「山県隊はなぜかくも強いのか」。
昌景は、
一番は訓練よりも戦に臨む心がけ、常に初陣の如き覚悟なり」と応えたという。


だが不死身の昌景もついに最期の時を迎える。長篠の合戦である。
「甲陽軍鑑」によれば、昌景らは総大将・勝頼に攻撃を控えるべきと進言した。
信長・家康の不気味な動きを警戒したのである。
しかし勝頼は総攻撃を命じた。

昌景は左翼先鋒隊として死を賭して突撃、ついに銃弾に倒れ戦死する。
戦場の最前線、徳川の本陣をまじかに望む地に昌景は眠っている。
 

武田家一途に捧げた山県昌景の生涯であった。

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