四十七士の我が友らの姿を再び紹介。
赤穂大石神社奉安殿の木像は、武家姿でない義士らの姿像がいい。
変装して身を隠し、吉良の動向を探っていたのだ。
まずは間喜兵衛69歳の医者姿である。
なんと間家は長男の十次郎、次男の新六郎も義挙に加わったのだから恐れいる。
「これ壮と云わんか、烈と云わんか!」
喜兵衛は裏門隊隊長の大石主税を支える本部裏門口にいた。
逃げようとする敵を見事槍一突きでしとめたという。
左は間十次郎26歳の像。
十次郎は討ち入りで吉良上野介に一番槍をつけた。
よって泉岳寺の主君内匠頭の墓前で、第一番目に焼香するという栄誉を得た。
左は、赤穂城隅櫓堀から西へ400㍍ほど行った間喜兵衛宅址。
この屋敷で、喜兵衛は次男新六郎も育てた。
新六郎は切腹の際、ただ一人腹を真一文字に掻き切って果てた。
享年24の若さ。
後にこのことが武士の鑑として大きな評判を呼んだという。
次の我が友は、小野寺幸右衛門。
養母実母の世話を知人に頼む手紙を書いている姿という。
討ち入り乱闘中、吉良家の武器の弓の弦をみな切断する機転を働かした男である。
小野寺十内は養父。
大高源五は実兄、岡野金右衛門は従弟、
というではないか。
なんと結束力の強い一党か!
左は俳人姿の大高源五像。
俳号を子葉と称し、俳句書も残しているほど。
松平邸において切腹。辞世は「梅で呑む茶屋もあるべし死出の山」
右は岡野金右衛門宅址。
金右衛門といえば、大工の棟梁の娘と偽りの恋をして、吉良邸の絵図面を手に入れる場面で映画・ドラマで名高い。
なにやら嘘っぽい話だが、それなりの根拠はあったようだ。
東映映画の忠臣蔵では、やはり当時最高の二枚目イケメン・亡き大川橋蔵が金右衛門役だった。
石像の右から2番目が小野寺十内61歳。
十内は、小野寺幸右衛門の養父、岡野金右衛門の伯父にあたる。
終始内蔵助のよき相談相手であった。
かつての大河ドラマ「赤穂浪士」では亡き志村喬さんが演じたのをよく記憶している。はまり役だった。
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
拙著PRです!
「信州往来もののふ列伝」(しなのき書房刊)
定価1296円,発売中です! ぜひご一読のほどを。
◆◆◆登場するもののふ 五十将星◆◆◆
坂上田村麻呂 平 将門 岡田親義 手塚光盛 根井行親 今井兼平
木曽義仲 木曽義高 佐々木高綱 熊谷直実 梶原景時 源頼朝
北条国時 北条時行 宗良親王
小笠原長時 村上義清 武田信繁 山本勘助 馬場信春 高坂昌信
武田信玄 上杉謙信 木曽義昌 仁科盛信 依田信蕃
織田信長 明智光秀 森 長可 上杉景勝 佐々成政 石川数正
仙石秀久 真田昌幸 真田信繁 真田信之 小笠原秀政 福島正則
花井吉成 松平忠輝 保科正之 赤埴源蔵 吉良義周 太宰春台
武田耕雲斎 佐久間象山 中岡慎太郎 赤松小三郎 堀 直虎 相良総三
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●