●我が友四十七士よ、町人姿がまたなんともせつなく魅力的ではないか | きょうのもののふフォト列伝 ー古戦場 城 もののふ 旅ー

きょうのもののふフォト列伝 ー古戦場 城 もののふ 旅ー

熱く 燃えて 散って 逝った 我ら祖先のもののふ達 その懸命な生きざま姿を追う旅を続けています。

四十七士の我が友らの姿を再び紹介。
赤穂大石神社奉安殿の木像は、武家姿でない義士らの姿像がいい。
変装して身を隠し、吉良の動向を探っていたのだ。 
まずは間喜兵衛69歳の医者姿である。
 
なんと間家は長男の十次郎次男の新六郎も義挙に加わったのだから恐れいる。
「これ壮と云わんか、烈と云わんか!」

喜兵衛は裏門隊隊長の大石主税を支える本部裏門口にいた。
逃げようとする敵を見事槍一突きでしとめたという。
   
左は間十次郎26歳の像。
十次郎は討ち入りで吉良上野介に一番槍をつけた。
よって泉岳寺の主君内匠頭の墓前で、第一番目に焼香するという栄誉を得た。
左は、赤穂城隅櫓堀から西へ400㍍ほど行った間喜兵衛宅址。
この屋敷で、喜兵衛は次男新六郎も育てた。
新六郎は切腹の際、ただ一人腹を真一文字に掻き切って果てた。
享年24の若さ。
後にこのことが武士の鑑として大きな評判を呼んだという。 

次の我が友は、小野寺幸右衛門
  
 養母実母の世話を知人に頼む手紙を書いている姿という。
討ち入り乱闘中、吉良家の武器の弓の弦をみな切断する機転を働かした男である。
小野寺十内は養父。
大高源五は実兄、岡野金右衛門は従弟、
というではないか。
なんと結束力の強い一党か!
  
左は俳人姿の大高源五像
俳号を子葉と称し、俳句書も残しているほど。
松平邸において切腹。辞世は「梅で呑む茶屋もあるべし死出の山」

右は岡野金右衛門宅址。  
金右衛門といえば、大工の棟梁の娘と偽りの恋をして、吉良邸の絵図面を手に入れる場面で映画・ドラマで名高い。
なにやら嘘っぽい話だが、それなりの根拠はあったようだ。
東映映画の忠臣蔵では、やはり当時最高の二枚目イケメン・亡き大川橋蔵が金右衛門役だった。
石像の右から2番目が小野寺十内61歳。
  
十内は、小野寺幸右衛門の養父、岡野金右衛門の伯父にあたる。
終始内蔵助のよき相談相手であった。
かつての大河ドラマ「赤穂浪士」では亡き志村喬さんが演じたのをよく記憶している。はまり役だった。

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