●小笠原秀政・忠脩父子討死す | きょうのもののふフォト列伝 ー古戦場 城 もののふ 旅ー

きょうのもののふフォト列伝 ー古戦場 城 もののふ 旅ー

熱く 燃えて 散って 逝った 我ら祖先のもののふ達 その懸命な生きざま姿を追う旅を続けています。


写真は代々の小笠原氏の居城・林城址を、城下街ともいうべき松本市南小松・林の集落から望む。

松本の市街地から東へ約1㌔のところ。
  
 山城のふもとに、
本棟造の建物やなまこ壁・白壁の家並みが今も点在する。

小笠原長時が林城を捨てて逃亡して以降、この城を廃城に。

武田は、現在の松本城の平城を営むようになった。
 
写真は小笠原氏の菩提寺・廣澤寺本堂への道。

杉の巨木が並木として左右に立ち並びなかなか壮観。

この寺は長時の子・貞慶が松本城主として返り咲いた時、小笠原家の菩提寺となった。

林支城址の山麓にあり、住職も小笠原という。

境内からは松本市街が一望。
 
本堂の裏手のさらに高い所に、貞慶の子であり貞時の孫となる秀政と、その子・忠脩(ただなが)が眠っている。
 
大坂夏の陣の、あの真田幸村が討死した日。

德川方に従っていた秀政は激戦の中で深傷を負い後に死去、忠脩もまた討死!

小笠原家に衝撃が走った。