●200年の栄華を後にして追われた小笠原長時 | きょうのもののふフォト列伝 ー古戦場 城 もののふ 旅ー

きょうのもののふフォト列伝 ー古戦場 城 もののふ 旅ー

熱く 燃えて 散って 逝った 我ら祖先のもののふ達 その懸命な生きざま姿を追う旅を続けています。


写真は松本市内の井川城址、井川居館址(松本市井川城)ともいう。
国宝・松本城のほぼ南1.5㌔ほどのところ。
  
 南北朝時代の頃、小笠原一族の祖ともいうべき小笠原貞宗がここに居館を構え、松本平・安曇平に勢威を張った。
以来200年、小笠原長時が松本の地を追われるまで「名門・小笠原」はその名を恣にしていた。

と考えていくと。
甲斐から諏訪へ、さらに塩尻峠を越えて松本平の地へ侵攻してきた
信玄は、まさに「意欲的!」 
そして名門にふんぞり返っていた長時は「おぼっちゃん!」か。
松本・安曇一帯で、圧倒的に信玄ファンが多い所以か
写真は井川城の居館から東へおよそ4㌔。
  
およそ100年後の1450年頃、小笠原清宗(長時の4代前)が居城を移した林城址
松本平一帯が一望できる難攻不落の山城。
世は応仁の乱が勃発する直前。
小笠原氏も戦国時代に対応した居城を築城したのである。
しかし長時は100年居城としたこの城に拠って戦うこともなく、城を捨てることに。
以来武田の支配となった。
信玄、恐るべし!