●仙石秀久って、WHO? | きょうのもののふフォト列伝 ー古戦場 城 もののふ 旅ー

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熱く 燃えて 散って 逝った 我ら祖先のもののふ達 その懸命な生きざま姿を追う旅を続けています。


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仙石秀久って誰だ?」

「知らん、初めて聞く」

小諸城・小諸藩のことをあれこれ調べていて、

「初代小諸藩主…、秀吉の家来? 福島正則や加藤清正より出世が早かった?」

「誰が? 仙石なんとかが?」

そんなわけで、次回「信州往来もののふ列伝 巻39」は、最近知った異色の武将・仙石秀久を取り上げた。
写真下左は小諸城大手門
右は小諸城址の懐古園の正面入口のよく知られる三の門
   
2つとも秀久が小諸藩主となって以後の建立で、もちろん重文。
今に残る小諸市の「顔」的存在。

懐古園には数回行っていたが、あまり藩主のことなど考えずに通過していた。

懐古園といえば島崎藤村

のイメージが強すぎたのかも。


さて、初代藩主となった秀久、城下町の整備などに尽力したというが、

藩主になるまでの武将としての生涯はまさに波瀾万丈。
福島正則・加藤清正よりずっとおもしろい。
こんな戦国武将がいたとは知らなかった。
歴史はほんとに奥が深いなぁ。

天正18(1590)年、秀吉の小田原攻めの合戦の時。

………「なんだありゃ、旗印にただ一文字『無』とは。
秀久のやつ、死ぬ気だな」

………「ジャラジャラうるさいあの音はなんじゃ。
なんと秀久のやつ、陣羽織鈴だらけではないか
あれでは敵からねらいうちではないか。
あいつ、この合戦に命賭けたな」

後に鈴鳴り武者といわれた秀久は、この合戦に命を賭けねばならぬ「ワケ」があった。

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