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写真は、鎌倉宮宝物殿の護良親王騎馬像。
高さ7尺5寸という。
「それでは武家がまとめられぬ。武家の足利がまずは将軍となってこそ…」と尊氏。
「いや、かつての天皇親政の時代こそ、この国のかたち」と後醍醐天皇。
さらに、「北条の執権・得宗政治の夢よもう一度!」と北条一族残党。
三つ巴どころか、四つ巴の「国のかたち」が混沌たる建武の時代…。
私はこのときからを「第一次戦国時代」の始まりなどと説明している。
元弘3(1331)年から3年余。
よく後醍醐天皇を守り北条軍と戦った護良親王だったが、あまりに血気盛んで、天皇とも、また足利尊氏とも対立反目した。
天皇も尊氏も親王もみな、北条を倒すときにはあんなに一致結束していたのに。
いつの時代も、権力をつかんだら、つかんだ後がまた大変。
ついに親王は皇位を奪おうとしたなどの疑いをかけられ捕縛され、身柄は尊氏に預けられた。
そして土牢に。
「護良親王御事績」によれば、「親王は斬りつけられた刃を噛み折った」と、その無念さを記している。
親王の墓所は、鎌倉宮からすぐ北東の裏手の山。
写真左の正面の石段をスタート。
登りきるとしばらく平坦な道を進むのが写真左。
長い、それにしても長~い石段をさらに登るのが写真下左。
「頼むぅ、もう…」
すると石段は左に曲がって、右手に門扉が!
「あぁ、ついに、やっと!」
その奥に親王の墓塔が写真下右。
金色の菊の御紋章が目立つ。
あたりは森閑・厳粛・静寂・濃い緑、奥深い所、高い所。
しばしたたずむ、いや動けないのだ。
足がもう。
それにしても石段が長い、急。あまりに急。
何度やめて降って戻ろうと立ち止まったことか。
しかし「ええい、行くぞ!こうなりゃ行く!」
最初は石段数を数えていたが足がもう限界。
墓参した人のサイトには、石段160とか100とかあるが、200以上と私は思ったが。
ともあれ達成感。護良親王墓へぜひ!
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