「何言ってるのまだ24じゃん!」
と返されることが多い。
再来週、24歳になる。
確かに、あと5年もしてから今を振り返ると
「まだ24なのに何言ってたんだ」
と思うような気もしている。
一丁前に「思い悩む」という機能を手にした12才あたりから、いちいち何歳でどんな悩みを抱えていたなんて覚えていないけれど、少なくとも日記に残っているような悩みごとは、今読み返すと「なに言ってんだか、そんな小さいこと」で一蹴できてしまいそうなものばかり。
部活の先輩がどうだとか
進路について親にこう言われたとか
クラスの友達が分かってくれないだとか
その時なりに真剣に悩んだからこそ、今ここにいるんだろうけど、でも、当時の自分が今「クラスの友達が…」なんて相談しにきたら、「何言ってるのまだ16歳でしょ、これから分かってくれる友達との出会いなんて沢山あるよ!」って、軽く跳ね返すと思う。
いくつになっても、そういう風に思い悩むんだろうなと思う。でも、思い悩んで自分で見つけた道は、誰も踏み込めない大事な道になることも知っている。それは即席の答えを求めなかった過去の自分が残してくれた、大きな財産だと思う。
されど24才。
取り返しがつくような、つかないような年齢。
これから何者にだってなれるけど、何者かになる覚悟は決めなくちゃいけない年齢。
今しか悩めないことを、存分に悩みたい。
そして5年後の自分が懐かしく、愛おしく感じるような痛みを、ちゃんと残しておきたい。
即席の答えを求めちゃいけない。
覚悟を決めて、苦しみながらも自分をそこそこ好きでいられる道を見つけなければ。
そんなことを思う、23才最後の夏(中途半端)です。