世界経済見通しの見方⇒世界銀行
世界経済見通しの見方⇒世界銀行編
世界銀行が2011年1月12日に世界経済見通しを発表した。日本の新聞でも紹介されているし、世界銀行の日本事務所のホームページでも、日本語でプレスリリースの日本語訳が読める。
内容的には、例えば、日経の記事(2010/1/12夕刊と14日の「世銀、ドル信認低下を懸念」)ほぼ同じだ。
まあ、これは初歩動作だが、もう一歩踏み込むには、やはり原典に当たらないといけない。世界銀行ホームページのトップに行くと、プレスリリース、報告書の全体がみられる。
なかなか工夫されたページ設計なので、見通しの要約表や見通しの本文には容易なアクセスできるが、英文を全部読み切るのはちょっとしんどい。
ともあれ、世銀の今回の見通しのメインシナリオのポイントは、2010年から2012年まで3%台の成長を維持する見込み。その原動力は新興国にあり、6~7%成長を維持する一方で、高所得国の2.5%前後と成長率は半分にも満たない。
中国は、2010年の10.0→8.7→8.4とやや減速していくものの、8%台のハイペースを維持。日本は、同じく4.4→1.8→2.0と依然、さえない成長だ。
経済成長率と同じように注目される、インフレ動向だが、消費者物価ベースではG7で2010年1.3→1.1→1.6%、米国も1.9→1.5→2.0とデフレ的状況は予想されていない。
原油価格は、2010年79.0ドル→85.0→80.4、商品価格上昇率(除く原油)は、2010年26.6→-0.1→-4.3%となっている。ただ、これは、予測というよりも経済見通しの前提値であるとみたほうが正解である。
ただ、最近の穀物価格の2ケタの上昇については、貧困と栄養不良を抱える国で家計を圧迫しているが、さらに上昇が続くとすると、2008年の事態が再燃するリスクも警告されている。
最後に、今回の報告書で、2012年以降の世界経済の構造的なリスクとして、5点ほど挙げているので、ここで紹介しておこう。
・財政の持続性を回復するための信頼される計画を実施すること
・全般的な需要喚起策を重視してきたことから、失業者の再雇用へのシフト
・金融セクターの再規制を完遂する
・為替レートが徐々にファンダメンタルズに適合するような政策を遂行
・通貨の信頼性を維持するために、主要準備通貨のボラティリティを低減する
次回は、OECDとIMFの世界経済見通しを紹介する。
以上
成長率見通しを読む・・ゲタの問題
<時として誤解を生む「成長率のゲタ」>
経済見通しの数字を読む場合に、ちょとテクニカルな問題ではあるが、常識としておさえておいた方がいいことがある。いわゆる「成長率のゲタ」の問題である。
成長率のゲタとは、GDP成長率の計算を暦年(年度でも同じ)の平均値の比較で行うことから生じる。
<極端なケースでの計算例>
例えば、第1四半期 100 第2四半期 105 第3四半期 115 第4四半期 120 だったとすると、この年のGDPの平均値は、100+105+115+120=440 を4で割って110になる。
もし、翌年の初めから、成長が一切止まってしまって 4四半期とも 120だとすると、翌年の平均のGDPの平均値は、当然、120となるので、翌年を通した成長率は、120÷110で、9.1%になる。この9.1%が「成長率のゲタ」と呼ばれているものである。
<平均成長率と年間成長率の計算方式の違い>
こうした方式によって計算された成長率は、「平均成長率」と呼ばれているが、前年の第4半期から全く成長していないのに、計算の上だけでは、9.1%という高率の成長率となってしまう。
極端な計算例ケースを取り上げたので判りやすいと思うが、2011年1月13日の日経の「大機小機」(隅田川氏執筆)でもこの問題を提起している。
米国では、平均成長率も使わないわけではないが、例えば、FRB(米連邦準備制度理事会)の経済成長率見通しでは、第4四半期ベースの数字の伸び率で、経済成長率を計算している。これは、「年間成長率」と呼ばれている。
<来年度の見通しでもゲタがかく乱要因>
来年度の日本政府の経済見通しの予想成長率もそうであるが、平均成長率でみるているので、2010年度3.1%、2011年度1.5%という姿となり、あたかも景気拡大のスピードが鈍化しているように受け止められてしまう。
しかし、年間成長率方式で計算し直してみると、2010年度1.4%、2011年度2.1%となり、経済の勢いが強まっていることになる。
隅田川氏が主張するように、今後は、日本でも、年間成長率ベースでみたほうが、成長率のゲタによるかく乱要因が排除できて良いように思える。
テクニカルな問題ではあるが、現在のように、成長率の絶対値の小さい世界の話では、要注意だ。また、専門家や予測機関の予測値を「深読み」するためには、必須の知識でもある。
以上
「同和と銀行・・・」森功著 を読んで
「同和と銀行 三菱東京UFJ”汚れ役”の黒い回顧録」 森功著
文庫版 2010年9月刊 講談社 本体819円
本来は書評のカテゴリーでとりあげようと思ったが、銀行の社会的責任という観点から、広く読まれるべき本だということで、CSRに入れた。さほど他意はない。本書は2009年9月に刊行されたものが文庫されたもの。
著者の森氏の略歴をみると、岡山大学文学部卒業後、新潮社勤務をへて、現在はフリーライターとなっている。このノンフィクション・レポートと「ヤメ検 司法に巣くう生態系の研究」で、2008、2009年の「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞」作品賞を受賞しているという。
よくできた作品である。類書は少ない。あえて言えば、銀行のMOF担(旧大蔵省との窓口を仕事とした)エリートの実態をフィクションの形で描いた、高杉良氏の「金融腐蝕列島」だろうか。
もともとこの手の「汚れ役」の言葉や証言が活字になるということはない。まさに組織のために手を汚して、その秘密を墓場まで持っていくのが「汚れ役」の本来の姿であるから。
経緯は判らないが、裁判になったことと、フィクサー役がすでに鬼籍となって、一応の結末がついていることも大きく影響しているのだろうと想像する。
汚れ役は岡野義市(以下、すべて敬称略)。旧三和銀行の行員。フィクサーは、同和団体のボスとされる小西邦彦だ。このレポートの骨格は、岡野自身へのインタビューによって成り立っている。
新聞でも大きく取り上げられていたが、このレポートの発端は大阪市営駐車場の収益横領事件で財団法人飛鳥会の小西理事長が逮捕・起訴された事件に始まるが、中心は、「同和団体のボス小西邦彦とその窓口担当だった銀行の”汚れ役”岡野義市の交わりを中心に構成」(文庫版まえがきP5)されている。
同和の利権をむさぼったとされる小西と、バブル絶頂期に不動産融資等で乱脈経営を行った旧三和銀行のなかで、汚れ役を務めた岡野の生い立ちからはじめて、最後の結末に至るまでを叙述している。
内容は実に面白い。高度経済成長時期の銀行員の生態、バブル期にどのようなことが行われたのか、いまではまとまって知ることが難しくなっていることも証言を通じて明らかにしている。
また、部落解放運動のなかで、いわゆる同和団体と行政・警察・金融機関が表面には出てこない形で、どのように癒着し、もたれ合っていたのか、これまた既存のジャーナリズムのタブーと長くなっていたテーマを
正面から取り上げているだけに、興味はつきない。
今の若い世代には、想像もつかないようなことが行われていた訳だが、そうした実態を知るにも格好の書となっている。書かれていることは、ほぼ正確なのだし、偏見や憶測も少ないものと推測できる。
大手銀行での熾烈な出世競争や、当時は存在した大学卒と高卒の微妙な関係など、金融界の経験のあるものにも「懐かしく」感じられるであろう。バブル期の異常な企業行動は、金融界に限ったことではないが、さながら「なにわ金融道」の大手金融版ストーリーとなっている。
舞台は大阪。岡野は、昭和18年生まれで、高校卒業後、昭和36年に旧三和銀行に入行。淡路支店に転勤となり、小西の窓口役になってから様々な局面で銀行と小西とのあいだの潤滑油として機能する。
一方、小西は昭和8年生まれで、暴力団構成員の経験も持つが、部落解放運動にかかわり、部落解放同盟大阪府連飛鳥支部の支部長となる。
これ以上のディテールは本書にあたってほしいが、
印象に残ったのが、小西の人柄を象徴する場面。「ともしび福祉会」という老人ホームの慰安旅行で、お年寄りに酒をつぎまわり、歌や踊りをともにして、最後は酔いつぶれてしまう。
老人たちの幸せそうな姿をみて、自分自身も普段はみせない柔和な幸せそうに表情に変身する姿だ。実際、部落の中では面倒見の良い人物だとの評価も多いという。
もうひとつは、岡野が巻末で語った「私は”汚れ役”として、銀行に利用されたことに悔いはありません」という言葉だ。
「バブルってそんなに人間や企業の所業を歪めてしまったんだ」と、若い世代が実感してもらえるには、格好の材料を提供している「歴史書」になっていると感じた。
あと、注意を喚起しておきたいのだが、本書は「同和=避けたい」という差別的な感情を助長する内容とはなっていないが、間違ってそちらの受け止め方が優先されてはならないと思う。
敢て著者に注文をしたかったのは、小西の部落解放運動で果たしたプラスの部分にもう少し光をあてて欲しかった。
最後になるが、
銀行のCSRもきれいごとで済ませるのではなく、こうした負の遺産を背負ってきたことも、頭の片隅にはいれておいて欲しいと切に思った。決して特定の銀行や当時の人達を貶めようというのではなく、過去から学ばない人間に成長はないと思うからだ。
以上