金勝山 金勝寺 (滋賀) | 星の道

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先日、滋賀県栗東市にある金勝寺へ行ってまいりました。



金勝寺は竜王山(604.7m)の頂上近くにあるお寺で、行楽シーズンの時期だけ金勝寺の近くまで行く臨時バスが出ております。
県内なので距離的には近いんだけど、公共機関でのアクセスがあまり良くなくてずっと行きあぐねていたお寺だったんですが、今回そのバスを使って初めて参拝できました。



40~50分ほどバスに揺られた後、バス停を降りてすぐの場所にある志納所を過ぎると、上の写真に写っている石の参道があります。
まずこの参道の両脇にそびえるように立っている大木がとにかく立派で素晴らしい。
山頂近くの木々がこんなに太いのは、そのお山、そしてそのお寺のある場所がとても「強い」からなのではないのかな、と個人的に思います。

600m越えのお山の頂上付近なので空気もすごく綺麗。そして空気だけじゃなくて、この周辺の気も明るくて澄んでる気がする。

本当に明るい。明るくて軽い。自然の「気」が強い。
なんにも重くなくて、もういかにも「お山のてっぺんにある聖域」という感じです。



こちらが仁王門。
近づくと仁王様がライトアップされるようになってました。



せっかくなのでアップで一枚撮らせていただきました。
「参拝させていただきますね」と口に出さずにご挨拶をした後、門の前で一礼をして奥に進みます。



仁王門をくぐってすぐ、本堂向かって右側に軍荼利明王が祀られている「二月堂」がありました。
こちらのお堂も近づくとライトが自動で点くようになっているので、外から撮った写真からでも中におられる仏像の様子がかなり伝わるのではないでしょうか。
(仏像自体が大きいのでお顔までは映ってませんが)

ところで二月堂と聞いてまず頭に思い浮かぶのは、やはり東大寺の二月堂です。超有名ですしね。
「なんでお堂の名前が被っているんだろう、東大寺と関係あるのかな…?」と不思議に思ったんですが、金勝寺でもらったリーフレットによると、こちらのお寺は『天平5年、聖武天皇の勅願によって東大寺初代別当の良弁僧正によって開基された』のだそうです。
奈良の都(平城京)の東北鬼門を護る国家鎮護の祈願寺として開基された、とあって、思ってた以上に長い歴史と由緒のあるお寺でした。



リーフレットには『開基してから8世紀の中頃までは、近江の二十五別院を統括する「金勝山大菩提寺」として法相宗興福寺の仏教道場だった』とも書かれていて、どうやらこの地は奈良時代では一大霊場として栄えていたようです。
しかし平安時代後期には天台宗に転宗していたと考えられていて、現在はそのまま天台宗のお寺となっています。
当時の規模のまま寺院が残っていたら、この一帯も比叡山のような一大霊場として今も栄えていたのかも知れないですね…。
(残ってて欲しかったな…)



二月堂のそばにあった水場。

二月堂と言えばやはり連想するのは「お水取り」です。
ちょうど空のペットボトルを持っていたので、せっかくなのでこちらのお水をもらって帰りました。

そしてそのお水は家で仏様に供える用のお水に使ってたんですが、なんせ山から流れる水なので少量の土砂が混じってる(ペットボトルの底に少しだけ沈殿してました)ので、さすがに飲用には使わないのがいいと思います。



山のお水で手を清めた後は、階段を登って奥にある本堂へ。
本堂にはご本尊の釈迦如来像、左側には四神(飯道明神、三上明神、兵主明神、山照津明神)と不動明王像、右側には愛染明王がおられました。
(愛染明王じゃなくて、馬頭観音だったかもしれない…。ちょっとうろ覚えですみません…)



こちらは本堂から数十メートルほど離れた場所にある御香水館。
こちらで汲み取った清水は明治三年まで京都御所へと献上されていて、宮中の九重御祝小豆粥の水として使われていたそうです。
明治天皇が京都御所から東京に行かれたのが明治2年なので、それに合わせて無くなっていたっぽいですね…。



御香水館からさらに虚空蔵堂に続く参道を歩きます。
こんな感じの参道をのんびり歩いていると、なんとも清々しい気持ちに。



こちらが虚空蔵堂。
このお堂自体は昭和に作られた新しいもので、中には虚空蔵菩薩、毘沙門天、地蔵菩薩が祀られています。
お堂の内部に毘沙門天像が小さく映っていますが、この毘沙門天が金勝寺の中で一番古い仏像なのだそうです。



こちらは御堂を正面から撮ったもの。
御簾の向こう側に虚空蔵菩薩像のシルエットが見えます。

中に入ってご挨拶をした際に気が付いたんですが、こちらの虚空蔵菩薩像の手には五色の糸が繋がっているのが見えました。
でも糸は参拝者の入れるエリアまでは伸びてなくて手に取ることが出来ず、感染対策とは言えそれがちょっとだけ残念です。
コロナ前は五色の糸を手に取って、ご縁を結んでくださいと直接お願いができたんでしょうね…。
まあでも、こればっかりはしょうがないです。




虚空蔵堂を参拝してそのまま順路通りに道を下っていくと、仁王門の所まで戻ってきました。

リーフレットに書いてある通り、中に入ってのんびり参拝とかをしなければ全部回っても30分もかからないくらいです。
私はがっつりお堂の中に入って参拝したので1時間半くらいかかりましたが、帰りのバスが大体2時間に1本くらいの間隔で来るので、のんびり参拝して丁度良いくらいじゃないかなーと思います。


何よりもこんなに空気の綺麗な清々しい場所は、ゆっくりしないと勿体ないです。
お寺の規模は昔よりも小さくなっていても、それでも立派な仏像が今もあり、そして大木に囲まれている清浄な場所なんて、平地ではそうそうないですもんね。
こんなところにまでバスで連れてきてもらえるなんて素晴らしいなと思います。
(期間限定なので春季と秋季だけですけど)


またぜひとも来たい場所ができました。
「お寺や神社は何度も通い詰めてナンボ」という気持ちがあるので(前にもブログで書いたけど、いろんな所に一見さんで出掛けるよりも、まずは地元の神社やお寺に足繁く通う方が良い気がするからです)、遠出しなくても行けるお気に入りの神社仏閣が出来るのが素直に嬉しいし、そして今のご時世的にもとても有難いのです。
またこれから流行り病の関係でなかなか遠出がしにくくなると思うので…。




そしておまけの感想。
 
本堂でご本尊の釈迦如来像に手を合わせてた時に、あることに気が付きました。
「仏像のおでこ中央にある白毫(サードアイ)から光が出ている」ということを知ってから割としっかり白毫を見るようになったんですが、こちらの釈迦如来像はおでこにある白毫の少し上、頭部の盛り上がってる部分の付け根あたりからなにかキラキラした光が見えました。
 
なんだろあれ…??と思ってよく見ると、肉髻(仏像の頭部の盛り上がってるところの名称で、悟りの証なのだそうです)の所にローズクオーツのよう淡いピンク色の丸珠が埋まっているのが確認できました。


家に帰ってきてから気になってネットで調べてみると、どうやらその珠のことは「肉髻珠」と呼ぶらしく、説明では『仏の知恵の光をあらわす珠で、赤色のルビーか肌に近いピンク色の石珠が埋められることが多い云々』と書いてあってなるほどと納得しました。
ただ一つ不思議に思ったことがあって、それはその時に見た珠がなぜか青色に光って見えたことなんですよね。
珠自体はピンク色に見えてたんだけど、その珠の中央部分に点のような小さな青い光があったような気がした。

ライトの光を反射してるんだろうかと最初は思ったんだけど、お堂のライトは上の写真にあるようにどこも暖色でした。

なのでお堂の光源でそう見えたと言う訳でもなさげだし、不思議っちゃ不思議です。
見え方もなんというか、「珠のかなり奥のほうから一筋漏れてる」みたいな見え方だった。
離れたところから届く光というかね。地上から見る星の光みたいな感じだったです。

あともう一つ不思議なことがあって、境内を一巡した後にふとお経の声が聞こえたのでそちらに行ってみると、二月堂に参拝に来ている若いお坊さんがおられました。
「お坊さんの読経を聞きながら手を合わせられるのって、これは凄くラッキーなのでは」と思い、二月堂に戻って一緒に中で手を合わせ、そのあとご挨拶をして色々とお話をしている時に、なんと流れでそのお坊さんとご一緒に二月堂と本堂と虚空蔵堂に行くことに(※私は本日二周目)。

全てのお堂を本職のお坊さんと同行しながら、一緒にお経をあげて参拝できることってこそうそう無いと思います。
その方は仏像にとても詳しいお坊さんで(ご自分で仏像の制作もされているので)、このお寺が奈良時代の歴史や信仰とつながりの深い古刹であることや、お寺の中では毘沙門天像が一番古い仏像であること、虚空蔵堂の本尊である虚空蔵菩薩像はもともとはなにかしらの本尊の脇侍であったのではないかと言われていることなどを、仏像を見ながら色々と教えてくださりました。



こんなこと前にもあったな…と、遠い昔に友人と二人で上賀茂神社に行った時のことを思い出しました。

その頃はまだ上賀茂神社のこともあまりよく知らなくて「景色が綺麗そうだし行ってみよっか」ぐらいの理由でたまたまそちらに行ったんですが、その時もどこからともなく大事なことを全部教えてくれる親切なおじさんが現れたんですよね…。

(神社の関係者とかではなく、多分ご近所のおじさんだと思う。普段着だったし)


きっかけはもう忘れてしまったけど、なぜか私たちに「こちらに来るのは初めてですか?」と声をかけてくれて、そうですと答えると上賀茂神社の謂れから祭事(葵祭)の説明、賀茂別雷命から入って下鴨神社のご祭神との関係の説明、そして境内にある摂社の説明などを丁寧にしてくれました。

上賀茂神社に関する話が終わるともう用事は済んだとばかりに「どうぞゆっくり参拝してくださいね」と言って、ふらっとそのままどこかに消えて行かれた…ということが過去にあったんだけど、それに似てます。


あれも今から思うとを神社(神様)が派遣してくださったのではないのかな…?と思ってるんですが、今回のお坊さんと偶然会えたこともなんとはなしにそんな感じがしました。
神社やお寺を参拝してるとこういう不思議な出来事ってありますよね。