前回の記事の補足と建部のおみくじ話 | 星の道

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神社巡りの記事ばかりです。

久々になりますが、京都の北野天満宮に行ってきました。


 

…と、その前に前回の参拝記事の補足をすこしだけ。

東門院に参拝した際にご住職としたやりとりはおおむね前回に書いた通りなんですが、一つだけ私が参拝で気を付けてることを書いておこうかなーと思いましたので、以下は追記になります。

 

「気を付ける」と言うほどたいしたことではないんですが、簡単に言うとそれは

『寺社におられる神職・あるいは僧侶のかたに、スピ的・霊能系の話題は振らない』

です。



少なくとも自分からは振らない。
湖西の某お寺の奥様と話したときも、守山寺のご住職とお話ししたときも、自分からはいわゆる「そういう話題」は一切してません。
(勿論こんなブログを書いてることも喋ってないし、自分が占術をしてることなんかも向こうは知りません)

あくまで一参拝客として静かにお参りをして(そもそもぼっち参拝なので話す相手もいないしね…)、偶然お坊さんや神職さんと話す機会が出来たとしても、あくまでもそのお寺や神社のことに関して「お話を聞かせてもらう」という感じのスタンスです。
たまたま機会が出来てこちら側から話しかけるとしても、そのお寺や神社に関しての具体的な疑問を尋ねたりするくらい。
寺社の関係者の方とそういう会話が偶々できただけでも「今日はラッキーだな」と思ってます。



前回、ご住職には色々なお話を聞かせてもらったんですが、その話題の中に「お堂についてたカメラの話」というのもありました。
内容がちょっと世知辛いところもあったのであえて書かずにアップしたんですが、後になってみると「うーん…でもやっぱり書いておいた方がいいかも…」と思うところもあったので、今回こういう形での補足となっております。

以上が前書きです。
やたら長くなってしまってすみません。




※ここから先はお堂前でのご住職との会話です※
観光名所になっているような有名寺院や神社だけではなく、最近では多くの寺社が社殿に監視カメラをつけていたりするところが多いんですが、こちらのお堂にも軒先にセコムのカメラがありました。

私「あ、セコムついてますね。重要文化財に万が一何かあったら大変ですもんね」

坊「そうそう。仏像の盗難対策でもあるけど、それ以外にもいろいろあるから」
私「色々…?」
坊「お堂の壁や柱に油や液体を撒かれたお寺もあるから。そういうニュース過去にもあったでしょ」

私「ありましたね…。信じてないにしても、なんで罰当たりなことをわざわざやりにお寺までやって来るんですかね?」
坊「信じてないんじゃなくて、油を撒くことが善いことだと信じてやっとる。カルトや」

…と、そんな会話をご住職と二人でしてました。


何者かが油(か、なにか得体のしれない液体)を神社やお寺の建物にかける、というニュースは私も確かに前に見た事があって、その時は「これって寺社に対して敬意のない人間が悪戯目的でやってるのかな」とぼんやり思ってたんですが、どうやらそうではないらしい。
ご住職曰く「無神論者ではなくカルト」「偏った自分の信仰をもっていてその信仰にはお寺や神社が邪魔になるとか、あるいはお寺に油を撒くと普通に参拝するよりも余計にご利益がもらえると思い込んでいるような人間がやってるのではと思う」と、そんなことをおっしゃっていました。

実際調べてみたら神社に油撒いていた件で逮捕状が出ていた人物は自称「宗教団体の創始者」なのだそうで、まあわかりやすく無神論者ではなくてカルトですよね…。
(そうだよねえ…信じてないだけなら、確かにわざわざ寺社には来ないですよね…)

 



こういうことが何度もあったので、お寺や神社の関係者の方は風変わりなオカルト・スピ系に対しては今でもかなりピリピリされているのではと思います。
もちろんスピリチュアルを信じて真面目に寺社を参拝してる大半の人(私も含め)はそんなことをしないけど、ただ多少話したところでこちらの人となりや信仰なんてちゃんと伝わるもんでもないし、まああえて神社やお寺で関係者の方に変な心配をかけてしまうようなことは言わなくてもいいかなと…

(よく知らない相手から聞かされるスピ話は返事にも困るだろうしね…)

 


あと、「神仏からの自分宛てメッセージを伝えて欲しい」というのが目的で寺社の関係者に話しかけてみるというのであれば、お仕事中の神職に求めるのではなくて、そちらのご本尊なり神様なりに手を合わせて相談した後に、境内に置いてあるおみくじを引いてみるのが確実というか、一番いいんじゃないのかなーと思います。

 

いつもアメブロを拝見させてもらっている水月さんもブログ記事で以前そのことについて書かれていたし、ご主人の名無しさんも記事コメントで教えてくださってたけど、おみくじって読めば読むほどちゃんとその時の自分にとって大切なことを伝えてくれてるなあ…と最近しみじみと思います。
(勝手にお名前出してすみません)




しみじみそう思うようになったのも理由があって、数日前に地元の建部大社に行ってきたんですが、その時におみくじに関することで実に不思議な出来事があったからなのです。
 

私が参拝した時間帯に、子どもさんのご祈祷で来られているであろうご一家(幼児、中高生の男の子、両親、祖父母だった気がする)も神社に参拝に来ておられてたんだけど、いいお天気だったこともあって3・4歳くらいの小さい娘さんとお父さんが楽しそうに追っかけっこをされてたんですね。

私は少し離れたベンチからその様子を見てたんですが、その時に

「厳粛な神社だと境内を走ると怒られるかもしれないけど、建部の神様はこういう微笑ましいの、多分大好きだろうなー」


と、そんな感いがふっと湧いてきました。


そしてそのままベンチで休憩してたら、さっきの父娘を含めたご一家が授与所の近くで何やらざわついているのが耳に入ってきました(結構大きな声だった)。
 

「え、家族全員大吉…?!こんなことってあるの?」
「もしかしてここのおみくじ、大吉しか入ってないんじゃ」
「こんなの初めてやんね。ああ吃驚した」

視線を向けると、そのご家族がめいめいそんなことを言いつつ、引いたおみくじを見せあいながら驚いてました。

 

いやいや…ちゃんと大吉以外も入ってますよ…(←中吉でした)と思いつつ、頭の中で「やっぱり建部の神様ってああいうの好きなんだ。それにしても一家全員大吉とか…大奮発というか、神様やりますねえ…!」と内心にやついておりました。


おみくじの吉凶は引いた本人の「その時の」ツキの度合い(要は運勢ですね)の目安をあらわしてるというのを聞いたことがあって、私もそれが基本的に正解なんだろうなーと思ってます。
つまり「大吉を引く」というのは今は運勢的に絶好調ですよ、ということになるんだけど、じゃあ今回みたいに家族そろって大吉を引いた場合は家族みんなの運勢はもれなく絶好調ってことなの?と言われると、結構これは…。

水を差すような言い方で申し訳ないんだけど、そうじゃないという気がします。


血のつながった家族であっても誕生日だって大体皆バラバラだし、生年月日が違ってるならば、命占的に言えば自ずと運気だってバラバラです。
それぞれの運気の波が完全にシンクロする事なんて滅多になく、大体は家族の誰かが運気が好調ならば他の誰かの運気が下降気味だったりしてます。

ただ、運気が違う人同士が家族として一緒にいると、「運気は絶好調」と「運気は絶不調」で中和しあうこともできるんですよね。
「夏に運気が絶好調、だけど冬に絶不調」の人と「夏は絶不調、だけど冬には絶好調」の人が一緒に居ると、自分の調子が落ちている時に相手(の運)に助けられる。
家族でも夫婦でも恋人でも、「誰かと共に過ごす」というのはそういう目に見えないメリットもあります。



話が占いにそれましたが、要は家族と言っても運勢がみんなそろって絶好調、とはさすがにちょっと考えにくいと私は思ったわけです。


でも見ての通り、ご家族みんなに大吉が出てる。
つまり、これはご家族それぞれの「現在の運気の目安」以外のなんらかの理由で大吉が出続けてるんだな、と思いました。

そして神社でこんなことが出来る存在は限られているわけで。
どんなに「大吉出て欲しい」「いい結果が出て欲しい」と願っても、人の念や願望では無理。
なので、やりますねえ!となったわけです。

そしてさらに付け加えると、一家全員に大吉を出した時点で「その家族の中で絶好調といえるまで運気が上がってない人」の運気を、ちゃんと大吉にふさわしいところまで上げることまでやってる…と私は思ってます。

神様のテコ入れというか、そこまで責任もって大吉を選んで渡してるのでは…?という感じがする。




話をおみくじに戻しますと、このご一家の様子を目にしたときに私は心から「神社のおみくじって本当に神様のお告げのようなものなんだな」と納得ができました。

今まではやはりどこかでおみくじは自分が選んたもの…みたいな感覚だったんだけど、そうじゃなくて本当に神様が出すものを選んで出してるんだなと。
(あと、神社の境内の中での考え事って、割と神様サイドに筒抜けなのではないかな…とも)


そういうことがあったので、なにかしらのメッセージを貰いたいなと思う方にはおみくじをお勧めします。

何度も引いていると、「あ、こないだ参拝に出掛けた神社で引いたおみくじにもこれが書いてあった気がする」みたいに、神様的に今の自分に一番伝えたいことってこの部分なんだだろうなー、みたいなのも浮かび上がって面白いなと思いました。
(ちなみに私が最近一番引くのが多いおみくじは「神はどんな時でも心の中まで見てることを忘れないように」という解釈文が載ってるものです。…これね、多分神社の中だけ取り繕うのではなく、平時からもっと清い心で生きなさい、という意味だと思いました…耳が痛い…)




…ちょろっとだけ書くつもりが前回記事の補足が長くなり過ぎました。
北野天満宮は次にちゃんと書きます。とりあえずはこの辺で。




◆おまけ◆

補足話だけではアレなので、そんなことがあった日に撮った建部のお稲荷さん(武富稲荷神社)のお写真を載せておきます。

 



前の記事にも書いたような気がしますが、建部のお稲荷さんは大切にされているのが凄く伝わってくるお社です。
だからでなんでしょうか、あまり手入れをされてないお稲荷さんのお社で感じるようなおっかなさのはこちらでは全然感じません。
お稲荷さん自体がすごく大らかな感じ。
 



よく見ると狛狐のつけている赤い前掛けが新調されておりました。
前に着けていた前掛けは金糸で縫われた桜柄の前掛けでしたが、新しいものは柄は真ん中の生地のところのみ。
その代わりに小さな金鈴が幾つも前掛けに縫い付けられていて、これもまた凝った造りのもので素敵だなあ、と思いました。
 

裁縫が得意な方が建部のお稲荷さん用に手作りで作られているのかな?
狛狐さんもこんなに気にかけてもらえたらきっと嬉しいでしょうね。




そして一番おどろいたのはこちらの燈明です。
なんかいきなりアイテムが増えてた…!

燈明自体は古いもののように見えるけども、寄進者のお名前が近くに表示してあったので(数か月前に来た時には燈明も表示も無かった)、うーん、やはり最近になって寄進されたものなのでしょうかね…?


前掛けと言い燈明と言い、武富稲荷神社は多くの人が大事に思ってるお稲荷さんなんだなということがしっかりと伝わってきます。
お稲荷さんはちょっと怖いかな…という人でも、こちらならば多分そういうのを感じずにのびのびと手を合わせることが出来るのではないでしょうか。
(何故なら私がそうだったので)

(しかしやはりお願い事は特にしないのであった)