2023年の岸壁にて | へっぴりごし

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つれづれなるままに・・・

井戸端談義のネタにでも

誤字脱字が多いのは、年のせいにします。w

【InDeep】記事より↓↓

 

 

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登場する新しい次のウソに気づくことができるのかどうか

2023年も終わりですね。

あと 365日もすれば、あっという間に 2025年の元旦です(そりゃまあそうだが)。

 

「2023年の岸壁で」とかいう、いい加減な感じのタイトルになってしまいましたが、先日のメルマガのタイトルが、「2023年の渚にて」でしたので、まあ、その連なりといいますか。

 

あと、先日見ました、FRB (米国の中央銀行制度)の「損失額の推移のグラフ」が、見事な岸壁状態となっていたことを思いだしたこともあります。

 

2011年から現在までのFRBの損失額の推移

E.J. Antoni, Ph.D.

 

2023年からのこの直滑降の損失額は、日本円で約 18兆円ほどになるようです。

たとえば、このようなものだけを見ても、「裏側では 2023年はとても激しい年だった」とはいえそうですが、こういうような「リスキーなシルエット」を示す指標は、少なくともアメリカには多数ありました。

 

そして今「 2024年には、壊滅的な金融危機と景気後退が起きる」と述べている専門家たちはたくさんいます。

 

…しかしですね。

 

壊滅的な金融危機と景気後退が起きるというのは、2023年に入るときもずっと言われていたことですが、部分的な危機はともかく、全面的なものは起きませんでした

 

深刻な食料危機も、少なくとも主要国では起こりませんでした(一部の国や地域では食料問題は非常に深刻ですが)。

 

そんなこともあり、「 2024年に〇〇が起きる」とは、もう何も言えない感じなんでしょうかね。

 

しかし、あらゆるジャンルにおいて、

「 2024年は 2023年より荒れる」

とはいえそうで、そして、

「 2025年は、その 2024年よりも荒れる」

ともいえそうで、さらには、

「 2026年は、その 2025年より荒れる」

ということもいえるような感じです。

 

最近のメルマガでは、「天体座相から見る 2024年以降の世界」というようなことにふれていたことがありました。

 

天体座相とは、主に太陽系の惑星(水星・金星・地球・火星・木星・土星・天王星・海王星の8つ)と、準惑星(ケレス、冥王星、エリス、ハウメア、マケマケの 5つ)の「配置」から、その時の社会がどのような状態となるかを読み解くものです。

 

何となく占星術というようなイメージを思われるかもしれないですが、その系統ではありますが、この「天文暦」は、非常に古くから見識としてあるものです。

 

最近でいえば、過去数百年以来の配置(もしかすると、もっとレア)な配置だと、十数年前から専門家たちがザワめいていた天体の配置があったのですが、いつだったかご存じでしょうか。

それは、

WHO がパンデミックを宣言した 2020年3月11日前後の天体

でした。

 

今の世に生きる人たちは誰も見たことのないような天体座相が「2020年3月に来る」ということは、ずいぶん以前から知られていたようで(私が知ったのはつい最近です)、それが引き起こす事象は一体何なのか、ということが、世界中の天体に詳しい人や占星術師の人々によって以前から議論されていたようです。

 

第三次世界大戦が来るのではないか…過去最悪の自然災害がやってくるのではないか…などと議論されていたようですが、そういうものは来ませんでした

 

そうではなく、2020年3月11日は、

「人類史上初めて、地球全体に統制が加えられた日が始まった日」

でした。

 

過去の歴史には、大戦争もあれば、大きな経済危機や、極端な自然災害や、他のさまざまな大激動はいくらでもありましたが、「人類のほぼ全部が巻き込まれた」のは、今に続く人類史ではなかったことです(有史以前の資料のない時代の歴史はわかりません)。

 

行動規制、マスク、そして、ワクチンにいたるまで、連綿と正確に続いた「行動と思想の統制」が初めて体系的に登場したわけです。

 

そういう極めて稀なことが始まった時に、太陽系の星たちは「きわめて異常な配列をしていた」と。

 

ちなみに、次に、2020年3月11日前後ほど激しい天体の配置が出現するのは、

「 2025年8月7日前後」

だそうです。

 

天体暦にお詳しい方の受け売りですが、そのあたりの時期は相当なものになると思います。

 

今回は、年末ということで(お雑煮の鶏ガラのダシをとったりしなければいけないので)、長々と記事を書くつもりはないですが、今後もまた、

「次のウソがなにがしか登場する」

ということにもなるのかもしれません。

 

新型コロナウイルスについてはは、2020年から書いていますように、政府とか当局の方法論は茶番そのものだと思っていましたが、新型コロナウイルスそのものを茶番だと思ったことはないです

 

今でも「生物兵器の一種」だと見なしています。

もちろん「一種」です。

 

従来の生物兵器の概念やカテゴリーとは相容れない存在ですが、そのあたりの詳しい部分にふれるつもりは今回はないです。

ただ、最近の変異を見ても、もうもう何だか「何が何やら」という多彩な工夫に満ちています。

 

最近のコロナの大きな変異は、もはや自然のものと見なすことは難しくなっています(JN.1 は 41箇所の変異)。

 

しかし、「次のウソ」は、コロナと関係ないかもしれません

 

テーマはいくらでもあります。

今は、「新型コロナの変異種による心不全のパンデミック」というようなことが、全世界でいっせいに報道されています。

(報道)世界的な心不全のパンデミックを「コロナの変異種の影響」と喧伝していく模様
BDW 2023年12月30日

 

これらの報道も、心不全のパンデミックが起きていることは事実だとしても、「その原因」を異なるところへ誘導しようとしています。

 

最近の以下のふたつの記事で示したように、それが起きているのだとすれば、それはワクチンによるものである可能性があまりにも高いわけで、それを自然感染のコロナと結びつけようとしている。

(記事)心筋炎の原因はスパイクタンパク質ではなく「ワクチンmRNAにより生成されるマイクロRNAそのもの」であることを知る
In Deep 2023年11月19日

(記事)脂質ナノ粒子 / RNAバイオテクノロジーの元設計者の方の「有害事象の根本」に関する投稿全文
In Deep 2023年12月15日

 

原因が何にせよ、これらの「心不全のパンデミックのタイムライン」というものがあるとするならば、直近の話ということではなく、今後 5年、あるいは 10年といったような話となります。損傷した心筋は再生されずに、何年も何年も発火点を待つだけだからです。

5年後、10年後だと、もうワクチンも何も話がうやむやになっている時期です。

 

他にもさまざまな「ウソ(的なもの)」が、社会とメディアと「同調圧力的な喧伝」などから絶えず噴出してくる時代ですし、これからも拡大すると思います。

 

2024年から 2025年、そしてその後は、それを自覚できているかどうかを自分自身で確認しながら生きる時期でもあります。

 

仮に……ですけれど、たとえば、コロナワクチンの何らかの有害性が公に認めれたとした場合、人々はおそらく、「ああ、騙されていたんだ」と思うのかもしれません

 

「では他のテーマでウソがやってきたら?」

という話です。

 

今の国民の状態ですとと、また同じになると思わざるを得ません。

 

今の日本人は、「権威として象徴付けられた存在に弱すぎる」のです…けれど、それはまあいいです。

 

これまで何度も引用させていただいていますが、終戦の翌年の 1946年(昭和21年)9月に、『映画春秋』という雑誌の創刊号に戦前の映画監督だった伊丹万作さんが寄稿した文章から抜粋して、2023年の大晦日の記事の締めとさせていただきます。伊丹万作さんの文章の全文は、こちらにあります。太字はこちらでしています。

 

先進国と言われる日本の様々な方々に捧げたいと思います。

 


『戦争責任者の問題』より

伊丹万作 1946年8月

 

多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという。

 

私の知っている範囲ではおれがだましたのだといった人間はまだ一人もいない。ここらあたりから、もうぼつぼつわからなくなってくる。多くの人はだましたものとだまされたものとの区別は、はっきりしていると思っているようであるが…

 

…それは、「だまし」の専門家と「だまされ」の専門家とに画然と分れていたわけではなく、いま、一人の人間がだれかにだまされると、次の瞬間には、もうその男が別のだれかをつかまえてだますというようなことを際限なくくりかえしていたので、つまり日本人全体が夢中になって互にだましたりだまされたりしていたのだろうと思う…

 

…また、もう一つ別の見方から考えると、いくらだますものがいてもだれ一人だまされるものがなかったとしたら今度のような戦争は成り立たなかったにちがいないのである。

 

つまりだますものだけでは戦争は起こらない。だますものとだまされるものとがそろわなければ戦争は起こらないということになると、戦争の責任もまた(たとえ軽重の差はあるにしても)当然両方にあるものと考えるほかはないのである。

 

そしてだまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになってしまっていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである

 

…このことはまた、同時にあのような専横と圧制を支配者にゆるした国民の奴隷根性とも密接につながるものである。

 

それは少なくとも個人の尊厳の冒涜、すなわち自我の放棄であり人間性への裏切りである

 

また、悪を憤る精神の欠如であり、道徳的無感覚である。ひいては国民大衆、すなわち被支配階級全体に対する不忠である。

 

…「だまされていた」という一語の持つ便利な効果におぼれて、一切の責任から解放された気でいる多くの人々の安易きわまる態度を見るとき、私は日本国民の将来に対して暗澹たる不安を感ぜざるを得ない。

 

「だまされていた」といって平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによってだまされ始めているにちがいないのである。一度だまされたら、二度とだまされまいとする真剣な自己反省と努力がなければ人間が進歩するわけはない。