ジャム。 | 女浪士 あずみ

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日本における最初のジャムは、16世紀後半に宣教師によってもたらされたと考えられています。

当時、南蛮風を好んだとされる、かの武将織田信長はおそらく口にしたのではないでしょうか。

国内での製造記録は、今から1世紀以上前の明治10年、東京の新宿にあった勧農局でのイチゴジャム試売にはじまります。

その後、明治14年に長野県で缶詰のイチゴジャムが販売されています。

明治38~39年に執筆された、夏目漱石の「吾輩は猫である」の一節には、苦沙弥先生が「おれはジャムは毎日舐めるが」、とジャムにふれたくだりがあります。

庶民にはまだまだ一般的ではなかったものの、ジャムが西洋文化の味として、一般に認識され始めた様子がうかがえます。

昭和に入ると、イギリス留学から帰国した相馬正胤氏が東京の西落合に相馬果実缶詰研究所を設立し、英国風のジャムやマーマレードの生産を開始しています。

昭和10年頃になると広島では、旗道園(のちのアヲハタ株式会社)がイチゴジャムとマーマレードを製造。山口県萩の風月堂とならび、イギリス式に比べて甘味の多い、日本人好みのマーマレードを売り出しています。

このころから、ジャムは一般に広く普及し、都市部と原料産地の両方で製造されるようになりました。

戦後は、学校給食のパン食でジャムに親しむ機会が増えたこと、洋風化志向となったことなどによって一段と需要が高まりました。

今日におけるジャムは、価格、品質の両面において、一般にひろく受け入れられており、スーパーのジャムコーナーのスペースをとってみても、欧米に劣らない人気ぶりがうかがえます。