当時、中国の漬け物は、酢漬けと塩漬けの二種類でした。その後、百済に塩漬けが伝わりました。
とはいえ、現在のキムチのように漬け汁ごと食べるのではなく、洗ったり絞ったりする漬け物だったと言われています。
高麗時代になると、書物「高麗史」に祭祀のお供え物として、キムチが登場します。
さらに、詩文集「東国李相国集」によると、醤漬けと塩漬けのことが記されていました。
醤漬け(チャンアチ)の醤は味噌や醤油のことを意味しているので、現在も食べられている醤漬けは歴史が古いことが伺えます。
また、キムチを意味する「沈菜(チムチェ)」の記述を見つけることができます。
チムチェは塩漬けした野菜に、ニンニクや生姜を入れて漬ける方法。さらには、大根を丸漬けにして漬け汁も楽しむトンチミもありました。
李氏朝鮮時代には、漬け方が記された書物が続々と刊行。16世紀初頭の料理書の「需雲雑方」では、沈白菜といって現在の白菜とは種類の異なる葉菜で漬ける方法が記載されていました。
朝鮮時代の中頃になると、唐辛子が伝来。ルートは日本との交易によるもの、豊臣秀吉の朝鮮出兵で持ち込まれたなど諸説がありますが、確実に言えることは、すぐにキムチに使われた訳ではありません。
庶民の間で受け入れられると、次第に貴族に広まり、18世紀の農書「増補山林経済」では、唐辛子入りのキムチやコチュジャンに記述が登場。唐辛子が持ち込まれてから、ここまで普及するまでに、100年以上もかかりました。
「増補山林経済」を機に、あっさりとしたキムチの味から、人々は唐辛子などの香辛料の入ったキムチを好むようになります。
とはいえ、この当時は糸唐辛子にして飾りとして使う程度でした。