長崎ちゃんぽん。 | 女浪士 あずみ

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鎖国時代、日本で唯一の開港地として外来文化を受け入れ、独自の文化を育てた長崎は、料理にも異国の味が漂うと言われます。

中でも、ちゃんぽん・皿うどんは、深い関わりのあった中国の影響を受けて長崎が生み出した日中混合の庶民の味として、名物のひとつとなっています。

「明治初年、長崎人である本吉某が、丸山にて支那うどんをちゃんぽんと、名付けて開業したもので、ついにちゃんぽんは、支那うどんの固有名詞となった」と文献に残されています。

また「勝海舟が丸山でちゃんぽんを食べとても喜んだ」とも語り継がれています。

この他、福建省の人たちが長崎市内(現在の新地中華街や館内)に出て、庶民相手に商売をするようになった頃、その明治30年代に、陳平順が貧しい中国人留学生に安くて栄養のあるものを食べさせようと、野菜くずや肉の切れ端などを炒め、中華麺を入れスープで煮込んだボリュームたっぷりの料理を作り上げ、ちゃんぽんと名付けたとも言われています。

どの説にしても、麺好きの日本人の嗜好を巧みにとらえた、その名の通りまさに日本と中国が混合(ちゃんぽんになった)した料理と言えます。