春 花見。 | 女浪士 あずみ

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古代のお花見は、中国の影響でもっぱら梅を観ることでした。

桜は、その散る時期によって農作物の出来・不出来を占う花となっていたのです。

福井県の鳥浜貝塚から出土した弓に、桜の樹皮が巻かれていたことから、日本人と桜の付き合いは五千年以上にもなる、といわれていますが、桜の花をみて楽しむようになったのは、平安時代からです。

しかし、当時はもっぱら貴族たちの行楽で、桜のころともなると、山野に酒肴を持参し、一日じゅう蹴鞠(けまり)や歌会に興じていました。

梅から桜への推移は、「万葉集」では梅の歌が多いのに対し、それより後に出た「古今集」や「後拾遺和歌集」などでは、桜が断然多くなっていることからもわかります。

やがて花見は武家の間にも広がり、1598年3月には、豊臣秀吉が京都醍醐寺三宝院の門前から山のふもとまで、幔幕を引いて大宴会を開いたといいます。

江戸時代になると、花見は庶民のものとなりました。芭蕉の句に「京は九万九千群衆の花見かな」とありますが、上野、向島、飛鳥山、小金井などに花の名所ができて、飲めや歌えの大騒ぎだったようです。

花の命が短く、散り際が美しいことから武士に愛され、庶民にも親しまれて、文学や絵画、工芸、演劇、あるいは桜餅、桜湯など食生活にまで大きな影響をあたえました。