日本における風呂敷に似た「包む布」の歴史は古く、奈良時代にはすでに正倉院蔵の宝物を包むのにも使われています。当時のこの布は、「ツツミ」という呼び名で書物に記されていて、大切な品物を収納するための布でした。
平安時代には「古路毛都々美(コロモヅツミ)」と呼ばれる布があり、おもに衣裳などを包む布として用いられたそうです。
南北朝時代にはこういった包み布を「平包(ヒラツツミ)」と呼んでいましたが、室町時代に入っていよいよ風呂敷は風呂で使われはじめます。
時の将軍足利義満は、京都に建てた屋敷に大湯殿を設けて全国の大名たちをもてなしました。
このとき、大名たちは脱いだ着物を取り違えないように、それぞれ自分の家紋の入った帛紗(ふくさ・絹の風呂敷のこと)に包み、湯上がりにはこの帛紗の上で身づくろいをしたと伝えられています。
「風呂で使われたので『風呂敷』という名前になった」という一説は、おそらくこの頃のお話をもとにしたものでしょう。