今日は玉の輿の日 | 女浪士 あずみ

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お玉さんの出生については諸説ありますが、最も知られているのは京都西陣の八百屋の娘だったという説です。

商人の娘らしく活発な女の子だったそうです。

ところが突然、八百屋を営んでいた父が亡くなり、お玉さんは父が野菜を納めていた下級武士・本庄家の養女になります。

「士農工商」の厳しい身分制度が敷かれていた江戸時代、お玉さんはいきなり商から士へ上ったのです。

出世運の強い女性だったのでしょうか。

さらに本庄家の養女となったお玉さんは、公家出身の尼僧の侍女として奉公することになります。

つまり士から公家へと、またひとつ出世階段を上ったことになります。

なんとも運の良い女性といえばそれまでですが、公家に奉公に出しても恥ずかしくない聡明な女性だったと理解してもいいのではないでしょうか?。

本庄家にしてみれば養女にもらった女の子のおかげで、公家と濃い関係を築けるのです。

お玉さんは、それだけの価値のある魅力的な女性だったのでしょう。
 
 ただ、ここから先は「運」というしかありません。お玉さんが奉公することになったこの尼僧こそ、後に将軍・家光の側室・お万の方になる人だったのです。

え?、尼僧なのに側室になるの? と不思議に思う人は多いでしょう。実は尼僧が住職を務める寺は伊勢にある慶光院という格式の高い寺院で、公家の姫が剃髪して修行し、住職になる決まりがありました。

つまり、お玉さんが奉公した尼僧は、希望して出家したわけではなく、家の決まりで尼になった公家のお嬢様だったのです。

そんなことから寛永16年、尼僧は将軍家に挨拶をするために、江戸城の将軍・徳川家光を訪ねることになりました。当然、お玉もお供をして江戸城に向かいました。

恐らく挨拶が終わったら、そのまま帰るつもりだったでしょう。

しかしここで、とんでもない出来事が起こります。なんと、将軍・家光が尼僧に一目ぼれをしてしまったのです。

尼僧はそのまま家光の側室「お万の方」として大奥に入り、お玉さんも大奥で暮らすことになってしまいます。

お万の方は、その後、大奥を仕切る女傑になったとはよく知られていますが、人生はわからないものですね。