今回は、

天壌無窮の神勅について考えてみます。


読み下し文:
豊葦原(とよあしはら)の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂(みずほ)の國は、是(こ)れ吾(あ)が子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地(くに)也。宜しく爾皇孫(いましすめみま)、就(ゆ)きて治(しら)せ。行矣(さきくませ)、寶祚(あまつひつぎ)の隆(さか)えまさむこと、当(まさ)に天壤(あめつち)と窮(きわま)り無かるべし。

現代語訳:
日本国は、我が子孫が王たるべき国である。さあ瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)よ、行って、しっかりと治めなさい。恙(つつが)なくお行きなさい。天津日嗣(あまつひつぎ;寶祚=皇位)は、天地と共に永遠に栄えることでしょう。


天壌無窮の神勅とは天照大御神が瓊瓊杵命に日本を治めなさい。と仰った神勅です。


豊葦原や千五百秋、瑞穂というように国土を称える言葉がたくさん使われていますね。そして最後の部分で『天壤(あめつち)と窮(きわま)り無かるべし。』とあります。これは天壌無窮と現されます。

天壌無窮とは

【天地と同じように永久に続くように。】

という意味です。


これは個人的意見ですが

万世一系の『万世』も天壌無窮の神勅から来ていると思います。『万世』とは万代とか永久とかいう意味がありますね。とても似ていると思うのです。



さて。

悠久の歴史を持つこの日本という国に生まれ、気の遠くなるような長い長い歴史を持つという事実に日本人として強く誇りを感じるという方も多いと思います。


そこで今回は法理的な視点ではなく、神話煙る古代から続く日本の歴史から日本国憲法を考察していきたいと思います。



日本国憲法について議論していると

『70年以上も使ってきているのだから』という意見を多く聞きます。

そのたびに疑問に思うのですが『70年』という年月は果たしてそんなに価値がある年月でしょうか?

他の国ならいざ知らず、悠久の歴史を持つ日本においては『70年』という短い年月は大した重みを持たないと思うのです。


例えば今年、令和4年は、皇紀2681年になります。

神武天皇が即位されてから2681年という途方もなく長い年月を日本は紡いで来ました。

単純にこの2681年という年月と比べてみても『70年』とはいかに短いかが分かると思います。

また、今まで『日本国憲法無効論集』で見てきたように日本国憲法はGHQが書いたために、日本国の文化も歴史も伝統も全く反映されていません。それどころかそれらを破壊する目的で書かれています。

そんなものを『たった70年』使ったからと言って何故そこまで大切にしようとするのか全く理解できません。


ここまでは日本の長い歴史について目を向けて来ましたが、天壌無窮という言葉には寧ろ(むしろ)未来への永続性が込められています。


天壌無窮の神勅にある『寶祚(あまつひつぎ)の隆(さか)えまさむこと、当(まさ)に天壤(あめつち)と窮(きわま)り無かるべし』とは、【皇位が天地のように永久に栄える】ことですが、天皇陛下の大御心を知る限り皇位が栄えるとは、国が栄える事です。

つまり【皇位=日本国 が永久的に栄えますように】という祈りがこの天壌無窮の神勅に込められていると思います。


そのことを踏まえ、今ここにある現代だけでなく遠い未来の日本を思い描くのも重要だと思います。



遠い未来の日本人の心にも天壌無窮の神勅が生きていると思います。

そこは現代の自分たちと変わりません。

しかし未来の日本人にとっては、大東亜戦争は遥か昔の出来事と感じるでしょう。

恐らく未来の日本人からしたら占領後から100年以上は経ってます。

そんな彼らが日本国憲法をどう捉えるでしょうか?

これは想像ですが

『講和するために仕方なく受け入れた』と正しく認識すると思います。(そう願いたいです)


もし現代において自分たちがこの『講和するために仕方なく受け入れた』モノを改正してまで使い続けるなどと決断をしたら、未来の日本人はきっと自分たちを指して『なんてバカなことをしたんだ』と批判すると思います。


現代に生きる自分たちは『戦後』という呪縛にとらわれて眼が曇っています。

それに比べ大東亜戦争を昔の戦争と冷静に捉えることが出来る世代は『曇りなき眼』を持っていると思います。

未来の日本人の視線で現代を見たとき。

GHQが書いた日本国憲法を巡って『改正しよー!』『いや護憲だ!』と護憲派・改正派に別れて罵り言い合っている姿はさぞかし滑稽に見えることでしょう。


そして将来、日本国憲法の制定過程を冷静に分析したとき、必ずや『日本国憲法無効論』は噴出します。

日本人は義を重んじます。

このままズルズル日本国憲法を使い続けていったとしても、いつか必ずや『日本国憲法無効論』を多くの人が支持することになるでしょう。


歴史に裏付けられた正統性を、日本人は必ず取り戻します。

その時、現代に生きる自分たちはどのように思われるでしょうか?



自分は日本のため、大東亜のために戦った祖父母の世代を誇らしく感じます。

『偉大なる世代』だと考えます。

その偉大なる世代の子孫として、『長年使い続けていた日本国憲法を無効宣言する』ための布石を残すことは、現代を生きる自分たちの使命だと思います。


『日本国憲法有効が多勢の理由』 にも書いたように、現在多くの日本人が日本国憲法を有効と誤認しています。

この現状の中で無効宣言を成すのは『至難の業』だということは充分に分かっています。

それと同時に日本人の義を重んじる心歴史を大切にする心も強く信じています。

『この国にとって本当に正しいことは何か?』日本人が真剣にこの問いに向き合ったときに、明治以来の維新が起きると思います。


日本人は幸運にも維新という概念と歴史を持っています。

【歴史を新たに発見し未来を切り開くための糧とする】

これが維新というものではないでしょうか?

この維新という概念も天壌無窮の神勅を根源にしていると思うのです。

『最も古く同時に新しい』と日本を称える言葉は、天壌無窮の神勅から出発していると思うのです。


天壌無窮の神勅を考えるとき、悠久の歴史に誇りを感じるとともに、永続的なこの国の繁栄を願わずにはいられません。

2681年という歴史の重さを自覚しつつ、万世に繁栄するこの国の明るい未来を思うならば、GHQが書いた日本国憲法など日本の歴史において『異物』でしかありません。


昭和天皇が国家の危機を乗り越えるために、苦渋の選択で日本国憲法を受け入れたとしても、改正してまで永久に使い続けるべきではありません。



天壌無窮の神勅のおかげで、現代に生きる自分たちも日本という国を俯瞰して日本の歴史と未来への永続性を感じることができ、考えることができます。


『寶祚(あまつひつぎ)の隆(さか)えまさむこと、当(まさ)に天壤(あめつち)と窮(きわま)り無かるべし。』

【天皇陛下を中心に、天地のように永久に栄える国】そんな国を目指そうではありませんか?






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