『承詔必謹を守るには真正無効論(日本国憲法無効論)しかない』でも少し触れましたが、日本国憲法有効論を主張する方の中には、日本国憲法を公布したときに「昭和天皇の御名御璽があるので日本国憲法は有効である!」と主張される方がいます、つまり「どんな瑕疵があっても天皇陛下の御名御璽があれば憲法として有効である」という主張です。
果たしてそうでしょうか?

確かに日本国憲法公布の勅書には、御名御璽があります。
御名御璽があるという事は天皇陛下が認めた国の正式な文書となることは間違いはないでしょう。
しかしそれを以て日本国憲法が憲法として有効か無効かという話は別問題です。


最初に押さえておくべき認識として
『天皇といえども國體のもとにある。』という事実です。
こう聞いて驚かれる方もいるかもしれませんが事実です。

反対の概念を考えるとよく分かります。
『天皇は唯一絶対の存在であり、天皇の上には何も存在しない』となります。別の言葉で言えばこれは天皇主権です。
反対の概念である天皇主権を軸に考えれば理解しやすいでしょうか?
つまり天皇陛下といえども、歴史や伝統を無視してなんでもかんでもやってもいいということではないのです。この事には納得できる方も多いと思います。それを『天皇といえども國體のもとにある』と表現しました。


日本国憲法は帝国憲法を改正したとされますが、その内容は酷いものです。
昭和20年10月に日本国憲法を討議する貴族院において佐々木憲法学者が『この改正案(日本国憲法)は國體の否定に結びつく』と激しく批判した演説をしています。
佐々木憲法学者が言うように日本国憲法とはまさに國體を否定するような存在なのです。

今一度冒頭の主張を考えてみます。
『國體否定の日本国憲法を天皇陛下が公布したからまたは、御名御璽があるからという理由で憲法として有効となる。』でしょか?
答えはです。

繰り返しになりますが、『天皇といえども國體のもとにある』ので國體否定しているものを天皇陛下が有効にすることはできません。
つまり國體否定の日本国憲法を昭和天皇の御名御璽を理由に有効にすることはできないのです。



更に違う視点から見てみましょう。
日本国憲法の前文と第1条にはこうあります。
前文
「ここに主権が国民に存することを宣言し」

第一条 
「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」

言うまでもなく、国民主権の条項です。

「昭和天皇の御名御璽があればどんなものでも憲法として有効。」と言うのが御名御璽を理由に有効とする主張であり、つまるところは天皇主権です。
ところが日本国憲法は上記のとおり明確に国民主権を主張しています。
そうなると
『国民主権を謳う日本国憲法を天皇主権で有効とする』というパラドックス(矛盾)が起きてしまいます。
主権とは唯一絶対の力なので国民主権と天皇主権が両立することはありません。
このように無理やり天皇主権を持ち出しても日本国憲法を有効とすることはできないのです。



また、もう一つの理由に。
『日本国憲法は帝国憲法に違反してるため無効です』『帝国憲法第73条違反により無効』

で書いたように日本国憲法は明確に帝国憲法に違反しています。
この違反を昭和天皇の御名御璽を以て治癒することはできません。もし治癒できるとしたらそれこそ天皇主権です。

明治天皇より歴代天皇は立憲君主制を基としてこられました。帝国憲法に違反していることを昭和天皇の御名御璽を以て帳消しにすることは、歴代天皇の御心を無視する行為です。

それでは昭和天皇の御名御璽は全く無意味なのでしょうか?
そのことについては『承詔必謹を忠実に守るには真正無効論(日本国憲法無効論)しかない』

に詳しく書きましたので、ここでは簡単に『講和大権のもとに許容される。』と表現しておきます。



ともかく。
上記の理由より昭和天皇の御名御璽を理由に日本国憲法は有効になりません。

これを強引に推し進めようとするのは、天皇主権を主張する愚行です。しかもその天皇主権を無理やり推し進めても国民主権を謳う日本国憲法とパラドックス(矛盾)を生みます。

「昭和天皇の御名御璽があるので日本国憲法は有効である!」というのは一見すると合理的であり、尊皇心があるように聞こえるかもしれませんが、理論として全く成り立ちません。
寧ろ独白録で昭和天皇が明確に否定された天皇主権を持ち出さないと成り立たない理論であり、尊皇とは程遠い主張なのです。