突然だが、日本国憲法改正派は日本国憲法有効派です。
文章や契約などに置き換えると分かりやすいのですが「無効なものは改正しても無効なまま」です。
故に、改正派の方々の共通の認識として『日本国憲法は有効である』というのが前提となっています。実はこの点は護憲派の方も同じ認識です。
つまり護憲派と改正派は罵り合っているように見えますが『日本国憲法は有効である』という点で同じ立ち位置にいることとなります。仲間内でケンカしているようなものです。
さて、護憲派にしろ改正派にしろ日本国憲法有効派に、『何故日本国憲法は有効なのか?』と質問をすると決まって『天皇陛下が公布されたのだから、承詔必謹が有効な理由である』と堂々と言います。
然らば『帝国憲法公布の際の明治天皇の詔に対する承詔必謹はどうするのだ?明治天皇の詔に反する"日本国憲法を公布する"という行為は、昭和天皇は明治天皇の詔に背いたということか?』と質問すると窮して口を閉ざしてしまいます。
それはそうでしょう日本国憲法が日本の憲法として有効だとしたら、昭和天皇は明治天皇の詔に背いたことになってしまう。そして昭和天皇の公布行為をもって「承詔必謹だから日本国憲法は有効である。」と主張するならば、そのような主張をする者は朝敵です。
では実際に昭和天皇は明治天皇の詔に背いたのか?
答えは『否』です。
では昭和天皇の『明治天皇の詔を否定する日本国憲法公布という行為』はどのように捉えればよいのだろうか?
昭和天皇は帝国憲法第13条に則り、講和大権を行使された。
これが真実であり、真正無効論の核心的部分です。
講和大権は他の大権に優先されて行使される状況が考えられます。
なぜならば国そのものが存続しなければ他の統治大権は機能しなくなってしまいます。それを防ぐために已む無く講和大権は一時的に他の統治大権を制限や停止させてまでも行使されるのてす。(例えば統帥大権など)
この場合、国家の変局時であるので帝国憲法に抵触する部分も少なからず存在しますが、講和大権のもとに許容されることとなります。
つまり
『明らかに明治天皇の詔に反する日本国憲法を公布するという行為は、講和大権のもとならば国家の変局時には許容される』
ということです。
よって日本国憲法有効の理由を昭和天皇の公布行為に求めることはできません。つまり『承詔必謹を理由に日本国憲法を有効とすることはできない』
ということです。
翻って講和大権の行使としての日本国憲法の公布はどうなるでしょうか?
先程説明したように国の変局時における講和大権の行使は、明治天皇の詔と矛盾する部分も許容されます。よって
『帝国憲法公布時における明治天皇の詔を承詔必謹すると同時に、日本国憲法公布時における昭和天皇の上諭も承詔必謹を実行することができる』
こととなります。
日本国憲法有効論者の中には、『明治天皇の詔よりあとの時代に出された昭和天皇の詔を優先するべきだ。だから日本国憲法は憲法として有効だ。』と信じられない発言をする者もいます。
天皇陛下の詔に新しい古いによって有効、無効が決まることなどあるのでしょうか?
明治天皇が天神地祇に誓われた詔が無効になることなどあるのでしょうか?
そもそも日本国憲法を有効だとはじめに言い出したのはGHQです。断じて日本人の意思ではありません。
承詔必謹まで持ち出してGHQの作った日本国憲法を有効だと叫び、改正を主張する行為は、GHQの犬と言わずしてなんと表現すれば良いのでしょうか?