多武峰 談山神社 | ドット模様のくつ底

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奈良が好きなライターの瞬間ブッダな日々の記録。
福祉的な目線から心の問題を考えています。

今日は今年4月に行った「談山神社」の記事を
再掲載させて頂きます。



奈良県桜井市多武峰(とおのみね)にある談山神社へ行きました。

こちらは飛鳥時代に中大兄皇子と中臣鎌足が
蘇我入鹿をはじめとする蘇我氏を倒す計画を立てた場所。

のちの「大化の改新」クーデターのきっかけとなった
談合が行われたことで有名です。



中大兄皇子(のちの天智天皇)と中臣鎌子(のちの藤原鎌足)は、
飛鳥の法興寺で行われた蹴鞠会で知り合いました。
(↑飛鳥寺のあるところです)

藤の花の盛りの頃だったということで、
5月ごろでしょうか。


本殿裏山で極秘談合をされます。

『多武峰縁起』によると、


「中大兄皇子、中臣鎌足連に言って曰く、
鞍作(蘇我入鹿)の暴逆をいかにせん。
願わくは奇策を陳べよと。
中臣連、皇子を将いて城東の倉橋山の峰に登り、
藤花の下に撥乱反正の謀を談ず。」

と記されています。

この談合により、
皇極天皇4年(645)飛鳥板蓋宮(あすかいたぶきのみや)で蘇我入鹿を討ち、
中央統一国家及び、文治政治の完成という歴史を刻みました。


多武峰はこの後、談峯・談(かたら)い山・談所が森と呼ばれるようになり、
「大化の改新談合の地」伝承が残りました。

現在の社号「談山神社」もここからきています。

140段ある石段を上がります。


途中、巨木が聳え立っていました。

石段をのぼると朱色の楼門があります。
ここから回廊へ進むと拝殿へ入ることができます。



本殿(重文)

拝殿(重文)から本殿の参拝ができます。

拝殿内では神社に纏わる資料が展示されていました


拝殿からの景色

秋の紅葉シーズンが特に有名ですね。




十三重塔(重文)

享禄5年(1532)・室町時代再建
木造十三重塔としては、世界で唯一の塔と謳われています。

もとは、藤原鎌足の子・定慧と不比等が
父の追福のため西暦678年に建立と伝わります。



龍ヶ谷の古代「岩くら」と「龍神社」

こちらの瀧と岩くらは、古神道の信仰の姿を今に残した霊地として、
神聖な岩に天上から神を迎え、祭祀をおこなっていたそうです。

この瀧は大和川の源流の一つで
清らかな水が湧き出ていました。


飛鳥時代に大陸から龍神信仰が入ってきて
日本の水神(たかおかみの神)と合わせて
龍神社と呼ばれるようになったと伝わります。

龍神社参拝は画像の場所からになります。


ここより上にあがる道があり、
談山(かたらいやま)、御破裂山(ごはれつざん)へと
入山ルートが続いています。


杉木立をひたすら歩いて10分ほど登ると談い山(標高566m)へ
(本殿裏山に位置する)

徒歩20分ほど登ると御破裂山(標高607m)に到着します。
藤原鎌足公墓所(古墳)はこちらにあります。


境内では、

比叡神社、総社本殿、権殿など、
重要文化財指定となっている建造物が配置されています。


けまりの庭がありました。
4月29日には「春のけまり祭」が開催されるそうです。
 
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こちらは東大門
享和3年(1803)建立
両袖付高麗門となっていて
表門では城郭風の造りが数少ない遺構であるとか。

ここから元・多武峰妙楽寺境内の参道が続いています。
明治の神仏分離以前まではお寺だったため、
その名残を感じる道となっています。




それでは、今日も皆様が健康で幸せに過ごせますように。