司馬遼太郎さんの随筆シリーズ
『近江散歩、奈良散歩
街道をゆく24』(朝日文庫)より
人間のくらしには、「文明」と「文化」がかさなりあっている。
「文明は普遍的で便利でかつ合理的なものだが、
つねにそれに裏打ちされている「文化」は、
どの国あるいはどの集団でも不合理なものであり、
逆にいえば、不合理でなければ「文化」ではありえないのではないか。
それに堪えて、不断に繰り返すところに、
他とちがった光が出てくるともいえる。
この場合の文化の定義は、
仮に「その集団を特色づける歴史的神聖慣習」とした上で、
司馬氏は
東大寺における「文化」は、修二会(お水取り)に
よって決定的に代表されていると述べられています。
文明から与えられている物質的な豊かさは
合理的に考えだされた有形無形の人智の結集として、
日ごろはそれらの恩恵を当たり前のように受けているわけですが、
その当たり前の豊かさの中でも
精神的には日本の文化に支えられていることに気づきますね。
修二会には
人間の懺悔と祈りの世界があります。
目には見えないことだけれど、
途絶えることなく続けられてきたこと。
そこにはたくさんの人びとがかかわってきたこと。
これからもそこに古来からのつながりを感じながら、
未来ともつながっていけますように。
それでは、今日も皆様が健康で幸せに過ごせますように。