これって時間泥棒なの!? | ドット模様のくつ底

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奈良が好きなライターの瞬間ブッダな日々の記録。
福祉的な目線から心の問題を考えています。


某月刊誌の記事でこのような話がありました。

「事前にある約束もないのに、突然訪問されるのが、
最も困ります」という講師の言葉から、

親しくない人ならば約束がないことを理由に断ることができるけれども、
知り合いとなるとそうはいかず、
忙しい人の中には分刻みのスケジュールで動いている人もいるので、
これが最も困ることなのだといいます。

こういったことは現代人に限らず、
『商人道「江戸しぐさ」の知恵袋』(越川禮子著・講談社刊)によると、
江戸時代では商いに支障が出ないように、お互いが相手を慮って、
断りもなく相手方へ訪問することを戒めていたそうです。

時間は取り戻せないもの。
「時泥棒は十両の罪」だったのだとか。

十両は現代の貨幣価値でいう100万円ほどのことなので、
江戸時代において、いかに時間を大切に考えられていたのかがわかります。


上記の話では、「商いに支障をきたさないように」ということなので、
休日のことではないようです。
たとえ休みの日であっても、
日ごろの疲れをとるために家でのんびり過ごしたい場合や、
その日に出かける予定があれば、
突然の来客は困るかもしれませんね。


私が子ども時代に読んだ本、
ミヒャエル・エンデの
『モモ』を思い出しました。

「時間貯蓄銀行」の灰色の男たちによって、
人々の時間が奪われていくことで、
人の心の余裕までなくなっていく・・・
それを取り戻していく少女モモが主人公の話です。

町の人々は、ある日突然やってきた
時間貯蓄銀行の外交員に無駄な時間の計算を
細かく計算されて、
さらにこの先の時間の計算までされます。

このあとの人生、これだけ倹約できますよと突き付けられ・・・

外交員に時間を預けたあとの人は、
その外交員とのやり取りのことは忘れてしまい、
ひたすら無駄な時間をなくすべく行動していきます。

すると、人とたのしくコミュニケーションをとる時間は
無意識に無駄な時間だからと省いていくのですが、
そうしていくうちに皆の心の余裕がなくなっていくのです。

そして町中にそのような人があふれかえっていきます。

あらゆる職場や町中に張り紙が貼られています。

「時間は貴重だ―― むだにするな!」
「時は金なり―― 節約せよ!」

心の余裕までなくしてしまった人達。

子どもたちと遊んでくれる大人までいなくなってしまうのです。

そのことを真っ先に感じとっていくのは子どもたちでした。

まわりの大人が何だかおかしいのです。
いらいらしていて、おこりっぽくなっていて・・・
ただの抜け殻のようになっている大人たちがいっぱい!


モモは貧しい女の子だけれど、相手の話に耳を傾け、
人の考え方や本当の心を理解することを大切に考えている少女。

一方で、
灰色の外交員たちの言い分はこうです。

「人生で大事なことはひとつしかない」

「それはなにかに成功すること、ひとかどのものになること。
たくさんのモノを手に入れることだ。
他のものより成功し、えらくなり、金持ちになったら、
友情だの、愛だの、名誉だの何でも集まってくるものだ」

だからモモのやっているような友達のことを想う行動は、
友達には何の役にも立っていないのだといいます。


ところがですね。
外交員たちは、人の時間を奪い、貯蓄することで
自分たちの時間を増やしているだけの悪党だったのです。

つまり、人々は騙されて時間を奪い去られてしまったということでした。

このままではいけないと、
モモは人々の大切な心を取り戻していくために奮闘していくのですよね。

ちょっと詳しい内容を忘れかけていたので、
本を久しぶりに開いてみましたけれど、概ねこのような話です。


「こんなことをするのは時間の無駄だ!」とか、
計画通りにいかなかったことに対して憂いている自分がいたら?

もしかすると心の余裕がなくなっていたりするのかもしれませんね。

人生のビジョンを立てていくにしても、
日々のなんてことはないような言行の積み重ねだって、
おろそかにはできませんよね。

時間を大切にするというのは、
心の余裕あってこそなのでしょうね。

私は最近、心の余裕がなくなっていた気がします。
なんでこんなことしちゃったんだろうとか、
人の時間の過ごし方をみて自分ならこうするとか思ったり。

こういうときって事の善悪も自己都合で解釈してしまいがちです。

もしかして!
時間貯蓄銀行に大切な時間を奪われていたのではないかと・・・(笑)

『モモ』はおすすめしたい児童書です。

それでは、今日も皆様が健康で幸せに過ごせますように。