おもてなしの心「馳走」 | ドット模様のくつ底

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奈良が好きなライターの瞬間ブッダな日々の記録。
福祉的な目線から心の問題を考えています。


「饗応」(きょうおう)とは酒食をもって人をもてなすこと。

「馳走」(ちそう)とは「駆け回る」という意味で、
来客をもてなす側の人がみずから奔走し、
苦労、努力して材料を調えるということ。

饗応に際して料理が馳走と呼ばれる理由はここにあり、
そしてその目的は来客の心を満足させることにあります。

古来から、飲食物を他人に饗することは、
生命を維持し、温かい人間関係を築き、
互いの生活を豊かにするうえで欠くことのできない重大な事柄でした。


来客をもてなすときには、
相手に対する深い思いやりの心をもって、
慎重で行きとどいた配慮をすることが必要です。

①危険のおそれのない飲食物を供すること。
②滋養分のあるものを出すこと。
③美味のものを出すこと。
④形のうえでも清新さと美観を添えること。

これらを踏まえて、真心込めて料理をし、
来客に真に満足していただけるように心がけたいものです。

広池千九郎は
「料理の形をよくするのは敬である。
味をよくするのは愛である」と言いました。

真の意味の御馳走とは
相手を敬い尊重する心でよく材料を吟味し、
愛情を込めて料理し、来客に心から満足を与えることなのだと思います。

(参考:『最高道徳の格言』モラロジ―研究所)





らーめん屋に取材に行くと、
「いいスープが作れなかったら店を開けない」と
いう店主に出会います。

顧客にとってはわからないほどの細かなことかもしれないけれど、
店主にとっては、
いい豚骨や鶏ガラが仕入れられるときと
時期によって仕入れられないときがあり、
そのときは
味の調節をどうするかまで細かく計算され尽して
スープは作られていたりします。

らーめんは特に同じ素材・分量で同じ人が作っていたとしても、
毎日同じ味を生み出すのは難しいように、
顧客をつかんで繁盛させるというのはかなりの試練なのですよね。


お店と家庭を同様に語れることではありませんけれども、
料理は作り手のその日のコンディションもかなり影響すると思うのですよね。
体調が悪いときって、大好きなものが食べられなくなったりするように、
調子によっては味覚もちがってくるわけで。。。

何事も身体が資本でもあるな~と思ったりします。

今年はもっと家に人を招いて、
おもてなしができるようになりたいと思っています!!


それでは、今日も皆様が健康で幸せに過ごせますように。