※3年前に開催されたフォーラム
―第12回 京都大学地球環境フォーラム―
「幸福」の価値観と次世代環境人材育成
のレポを順次再掲載していこうと思います。
プライベートでブータンの話題が出たのをきっかけに
思い出して読み直したのですが、個人的に面白かったので
まだ読まれていない方はよろしければどうぞ。
(頂いたコメントも残しています)
京都大学こころの未来研究センター准教授
内田由紀子先生の講演レポのつづきです。
世界的比較で用いられる指標
人生の満足感尺度
1 私は自分の人生に満足している
2 私の生活環境は素晴らしいものである。
3 大体において、私の人生は理想に近いものである
4 もう一度人生をやり直すとしても、
私には変えたいと思うところはほとんどない
5 これまで私は望んだものは手に入れてきた
アメリカ人大学生平均点:>5.0
日本人大学生平均点:<4.0
(いずれも7点尺度)大石,2009;Hitokoto&Uchida,2008による
いかがでしょうか。
日本人は満足していないわけではないように思います。
満足感があってはそれ以上の力が発揮できない気がするので、
足るを知るためにも少し謙遜ぎみに自己評価しているのではないかと
私は思いました。
Masuda,et al(2008)
こちらの画像、レジュメからなので見にくくてすみません。
このイラスト3点を見比べて
真ん中の子が「どれくらい「楽しそう」かを、
日米で比較したところ、
周りが笑顔である下のイラストが日米が同じように「楽しそう」と思ったのに対し、
上の2点のイラストは真ん中の子以外は「楽しそう」じゃないことで、
米国人は下のイラストとほぼ変わらずに「真ん中の子は楽しそう」と感じ、
日本人はまわりの表情が変わるだけで「真ん中の子」は「楽しそうではない」
と思う人が、下のイラストで「楽しそう」と思った人の半数にまで減るという結果に。。。
内田先生は内閣府の「幸福」に関する研究会の委員で、
http://www5.cao.go.jp/keizai2/koufukudo/koufukudo.html
(記事投稿のリンク機能が仕えません。。。)
その研究会が昨年末ごろあり、
指標案(2011年12月発表)が示されていました。
http://www5.cao.go.jp/keizai2/koufukudo/pdf/koufukudosian_sono1.pdf
↑内閣府のHPに資料のリンクがありました。
こちらに掲載されている発表を、今回の講演で内田先生が提示されていました。
ご興味がある方はご覧頂ければと思います。
研究会で先生が提案してきたことと
・単純な平均値の比較の危険性
・日本的幸福の意味への配慮:「関係性」と
欧米型幸福観からの転換
・「職の有無」などのプロフィールが、人々の幸福を
決定づけるというより、それぞれの中での
こころのあり方に目を向けるべきという視点
・震災を受けて
-個の幸福から集合的幸福へ
-つながり志向性
-自然とのかかわり指標と持続可能性
多くの日本人の考える人並み・協調的幸福とは何かについて
・自分だけでなく、身近なまわりの人も楽しい気持ちでいると思う
・まわりの人に認められていると感じる
・大切な人を幸せにしていると思う
・平凡だが安定した日々を過ごしている
・大きな悩み事はない
・人に迷惑をかけずに自分のやりたいことができている
・まわりの人たちと同じくらい幸せだと思う
・まわりの人並みの生活は手に入れている自信がある
・まわりの人たちと同じくらい、それなりにうまくいっている
ということでした。
納得いくというか、このことを意識しなくて成り立たない人間関係が
日本社会にはありますね。
個の幸福をこえて
・ブータンのGNH:幸せな社会をつくるために
自然環境の豊かさ、伝統文化の保全、良い政治、経済発展
・日本の幸福度:自然とのかかわりや関係性(家族・地域)の見直しと、
心身の健康、それを支える社会・経済
まずは個の幸福からですね。
私はどんな人も福祉の役割を持っていると思います。
どんな仕事だって社会貢献であることに違いなく、
子育てだって大切な社会貢献だと思います。
親は社会福祉の担い手として大事な役割を持っていると思います。
私は「自分にはできない」などの
「ない」のつく言葉を極力使用しないように心がけています。
小さな幸せの積み重ねである毎日を大切に生きて行きたいです。