「幸福」の価値観とは!? 池口龍法氏の講演から② | ドット模様のくつ底

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福祉的な目線から心の問題を考えています。

※3年前に開催されたフォーラム


―第12回 京都大学地球環境フォーラム―

「幸福」の価値観と次世代環境人材育成


のレポを順次再掲載していきます。


プライベートでブータンの話題が出たのをきっかけに

思い出して読み直したのですが、個人的に勉強になったので

まだ読まれていない方はよろしければどうぞ。


(頂いたコメントも残しています)




知恩院僧侶、池口龍法氏 講演レポのつづきです。



日本の仏教って何でしょう?


・僧侶の妻帯が認められている「在家仏教」

・多くの宗派が存在する「宗派仏教」

・檀家制度によって運営される「寺檀仏教」

・先祖供養と結びついた「葬式仏教」


このようなジャンル分けから

現状の日本仏教のあり方について考えます。


「宗派仏教から脱却すべき?」


「宗派仏教」についての否定的意見と肯定的意見


【否定的意見】


・チベットやブータンの仏教にも「派」はあるが、

共通の経典を使っていて、教義的にも

(日本の各宗派ほどの)違いはない。


・日本の各宗派は、それぞれの「教相判釈」 (きょうそうはんじゃく)に基づいて

教義を説くが、その前提は今日の科学的理解からすれば・・・


・そもそも、宗派なんて、身内のお葬式の時以外は意識したことがない。


【肯定的意見】


・膨大な教義を広く学んでいくのは実際には大変で、

「念仏」や「座禅」を唯一の行として説いた

わかりやすい日本仏教のあり方を評価する声も


・毎月一回好評開催中のカフェでの座禅会(「朝一座禅」)も

そう指摘するドイツ人とのつながりがきっかけではじまりました。



「お寺は風景だ、と言われましたが・・・」


・仏教ブームでも僧侶のイメージはよくない。

仏教の講演会で聴衆に聞くと、

仏教に良いイメージを持っている人は9割5分。

日本仏教は6割、寺2割5分、僧侶1割です。

仏教好きの寺嫌い、僧侶嫌いの傾向がありますね。


・日本人の精神の深い層には仏教への信頼があります。

期待まで失っていません。


(2012年1月1日 共同通信社配信記事におけるインタビューより)



「お寺は檀家のためのもの?公益性のためのもの?」



・「人間社会に対する人々の信頼度を高めていくためには、

国家と個人の中間の領域を分厚くしていくことが必要です。

その時に、お寺というのは重要な意味を持つ。

お寺は人と人とのきずなや信頼を築きあげていくために

貴重な社会的インフラなんです。


(「The Big Issue Japan」 Vol.168における中島岳志さんの提言より)


・檀家の方々の浄財で先祖供養のために守られてきたお堂。

地縁の絆が弱体化していくなかで、「新しい公共」を築くためには、

理解と配慮が必要。


・お寺にだけ公益性を求めるのではなく、WIFIのフリースポットを

街中に増やしてほしいと思います。



「葬式仏教批判:お葬式は要らない!?」


祖先崇拝は仏教にあらず!?


日本人でブータンに縁のある人がいた。

その人が亡くなり、日本では十三回忌に当たる年、

遺族がブータンの僧侶に相談をした。

するとこんな答えが返ってきた。

「あの人は、そんなに悪い人とは思えなかったが、

何か重大な悪業でも犯したのか。

いずれにせよ、すでにどこかに何らかのかたちで

生まれ変わっているから、いまさら追善供養の法要でもないだろう」


・・・・・・・・・・・・・・


いずれにせよ、日本仏教特有の法要の起源、変遷といった事柄は、

それ自体民俗学的に興味のあるテーマである。

おそらくは、中国の儒教的先祖崇拝といった背景があるのであろう。

それが、仏教儀式として定着し、いまや日本人の社会的、精神的世界に

欠かせないものとなっている。

しかし、これは仏教本来のものではないことは否定できない。


(今枝由郎『ブータンから見た日本仏教』日本放送出版協会、

2005,pp,90-92)


ブータンでの仏教では人間は死んだら

何らかのものに生まれ変わると説かれるので

日本のように○回忌と故人の法要を重ねていくことはありません。


ブータンの僧侶は、十三回忌をする方が

追善供養が必要なほどの悪業を犯したのかと

思われたんですよね。

確かにいつまでも人の死を法要という形で悼んでいくことは、

仏教の儀式として行われていながらにして、

仏教の教えにはないことです。


仏壇があったり遺品を残していくことであったり、





故人を忘れないために形にして残していくことは、


他の仏教国では不思議なことなんですね。


他国でも不思議と思うことがたくさんありますし、


日本独自の習わしとして受け入れていくかどうかですね。。。



深く考えてみたくなるような

非常に興味深いお話でした。


以上の話のあとに昨日レポした

「いかに充足感ある社会をつくるか」

という話につながります。


そして


・ブータンの人々の充足感を、そして日本仏教のあり方を、

まずは正しく知ることから。

・日本仏教は変わるべき時に来ていますが、

そのためには多くの方々の批判と協力が必要です。

・お寺の公益性の見直し、信仰のあり方の合理化は

少しずつ進んでいますが、全体がすぐに変わるのは無理です。

たゆまずに長くやっていきたいと思います。


と話が締めくくられました。

余談ですが、

ドラクエ職業診断で、

僧侶タイプと診断された方は


「ちょっと引いた立ち位置から、仲間たちを優しく

フォローする愛情あふれるあなたは僧侶タイプ!

傷ついたパーティをいやしの光で包みこむ、

旅には欠かせない存在だ」


なのだそうです。


ちなみに僧侶の池口氏は

「魔法使い」タイプだったとか(笑)


(↑これって職業だったの!?)


この話の〆では「僧侶ってこういうタイプなのかなと思います」

とおっしゃっていました。