「幸福」の価値観とは!? 池口龍法氏の講演から① | ドット模様のくつ底

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福祉的な目線から心の問題を考えています。

※3年前に開催されたフォーラム


―第12回 京都大学地球環境フォーラム―

「幸福」の価値観と次世代環境人材育成


のレポを順次再掲載していこうと思います。


プライベートでブータンの話題が出たのをきっかけに

思い出して読み直したのですが、個人的に勉強になったので

まだ読まれていない方はよろしければどうぞ。


(頂いたコメントも残しています)



2012年2月4日(土)


京都大学百周年時計台記念館2F 国際交流ホールI

にて開催されました


―第12回 京都大学地球環境フォーラム―

「幸福」の価値観と次世代環境人材育成


に行ってきました。






今回、自分の目的としてきた内容は、

「幸福」の価値観についてでしたので、

そのテーマで講演された三名の方のレポをさせて頂きます。


皆さん主流のレジュメとパワポを使用した講演でしたので、

わかりやすくて勉強になりました。


お一人目は

フリースタイルな僧侶たち代表、

池口龍法さんでした。


知恩院の僧侶さんです。

日本仏教から「幸福の価値観」を探ります。


今日の池口さんの講演には

フジTVの取材が入っているとのことで、

講演中にカメラが回っていました。

3月16日に関東で放送されるそうですね。


池口さんはメディアによく取り上げられている方で、


今度、廣済堂出版より刊行される


『美坊主図鑑』

~イケメン僧侶に聞く恋愛、結婚、人生~


の取材も受けたそうです。


その取材(アンケート)内容が紹介されていましたが、

フツウの男の子に質問するような内容で(笑)


たとえば

◆主食は?という質問があり


こんなことを書いて下さいという例では、


(修行中は精進料理ですが、プリンなどの甘いものが好き

など・・・)


と書かれてあったりと楽しいものでした。


本の内容はお寺フェチな女子に贈る

イケメンお坊さん満載の一冊とのこと。



ちなみに池口さんが紹介していた回答の中で、


◆最近嬉しかったことは? の欄に


「檀家参りのためにPeugeotのmopetを購入して走行中」


と書かれてあったのが印象的でした。



「宗教って何故必要?」


1 国際化した時代の中で宗教について正しい理解が求められるから


2 (日本の未来に経済的発展はなくとも)

  「幸福国」ブータンの人々のように、充足感を持って生きるため


1 については国際結婚によりイスラム教に入信された方の

今後の日本家族との関わり方についての相談内容が例としてあげられてあり、


2 にはブータン前国王の提言が取り上げられていました。


仏教國としては、経済発展が究極の目的でないことは、

経済基盤が必須であることと同様、自明のことである。

仏教国の究極の目的として揚げたもの、

それがGNH「国民総幸福」である。

しかしいま考えると、「幸福(happiness)」というのは

非常に主観的なもので、個人差がある。

だからそれは、政府の方針とはなりえない。

私が意図したことは、むしろ「充足(contentedness)」である。

それは、ある目的に向かって努力するとき、

そしてそれが達成されたときに、誰もが感じることである。

この充足感をもてることが、人間にとってもっとも大切なことである。

私が目標としていることは、ブータン国民一人一人が、

ブータン人として生きることを誇りに思い、

自分の人生に充足感を持つことである。


(今枝由郎『ブータン仏教から見た日本仏教』NHKブックス,2005,p181)


私も仏教が好きな理由は

こちらのメッセージに書かれた内容に集約されているように思います。


上記の考え方を望む一方で経済発展してきた日本に生きるとなれば、

現状として日本人は充足感が得られない人が多いのかと思いました。

「日本(=不幸国?)の仏教って何でしょう?」


・僧侶の妻帯が認められている「在家仏教」

・多くの宗派が存在する「宗派仏教」

・檀家制度によって運営される「寺檀仏教」

・先祖供養と結びついた「葬式仏教」


→日本仏教は出家主義に戻るべき?


という日本仏教の存在の問題提起がありました。



全国で7万以上のお寺があり、

人々との関わり方や存在意義は多様化しています。


日本人が求める(ニーズに対応する?)形で

あるいは悟りの境地を目指すのではなく人として生きやすさの追求?により、

本来の仏教の教えから派生していったことが

上記のような仏教の在り方なんですよね。


とはいえ、出家主義の僧侶であれば

自分だけの究極の悟りの世界を求めていくことになりはしませんでしょうか。

僧侶の存在とは仏教の教えに基づいた

充足感ある暮らしの提案ができる存在であればいいのかもしれませんね。



「日本における修行僧の位置は?」


と書かれてある下に


↓Twitterでの僧侶とのやりとりが紹介されていました。


A「おはようございます。今日は断食します」


B「朝の宣言としてなんかかっこいいぞこれは」


A「そうかな~。じゃあ、調子に乗って毎日しようかなあ~」


B「毎日できるんですか!」


A「ごめんなさい、涅槃にはまだ早く」



何だか楽しい断食ですねえ。。。


僧侶は今後どうあるべきかということについて


・「なまぐさ坊主」という批判こそあるにせよ、

出家者の超越性と在家者の世俗性が対峙し融和しながら、

社会を規定していくようなあり方が、

今果たして求められているのか


・僧侶は修行にはいよいよ励むべきだとしても、

社会の中にありつつ、充足感を提示することが

必要なのではないか



このような若手僧侶たちの位置づけはどうあるべきか、

ということを提示しておられました。


その後「充足感」という

キーワードによって話が展開されるのですが、


「在家仏教」「宗派仏教」「寺檀仏教」「葬式仏教」

という日本仏教の現状について取り上げられた内容については

②でご紹介することにするとして、キーワードでまとめに入ります。


「いかに充足感ある社会を作るか」


については

・生き方の規範を改めて提示する

・教義を化学的・合理的に捉え直す

・お寺の公益性を問い直す

・「死」に正しく向き合う


など仏教のこれからの

課題や可能性を示唆しておられました。


そして

スティーブ・ジョブズのスタンフォード大学における

講演での話が取り上げられていました。


17歳のときにこんな言葉に出合いました。


「毎日を人生最後の日だと思って生きよう。

いつか本当にそうなる日が来る」


その言葉に感銘を受けて以来33年、

私は毎朝鏡の中の自分に問いかけています。


「今日で死ぬとしたら、今日は本当にすべきことをするか?」


その答えが何日も「No」のままなら

何かを変える必要があると気づきます。


「すぐに死ぬ」という覚悟があれば人生で重要な決断をする時に

大きな自信となります。


なぜならほぼすべてのものは、

周囲からの期待、プライド、失敗や恥をかくことへの恐怖など、

そういったものは死に直面すると消え去るからです。


そこに残るものは本当に必要な物だけです。



こちらのお話、ご存じの方も多いと思われます。


充足感のきっかけは日常の何気ない瞬間瞬間に

見つけられることなんですよね。


スティーブジョブスの話から伝えたかったことは、


充足感のきっかけは毎日「死」を意識することで、

自分が充たされていないと感じて暮らしていることは

解かれていくのではないかということ。

「すぐに死ぬ」という覚悟があれば人生の重要な決断の際、

大きな自信へとつながると。


自分が本当にすべきことが「死」を意識すれば

見えてくる、必要な決断だけが残るということですね。


成功者となるためのメソッドのような発想ですね。


成功を目指すことと、幸せを感じる価値観は違いますが、


活力のあるところに幸せは訪れると考えれば

そのことも一つの在り方です。


ただ、いつも思うのですが、

頑張るほどに人生は試練が待ち受けているように思います。


頑張らなかったら得られないものがありますが、


頑張ることで幸せになれると考えるよりは、


試練のときはそれ自体が幸せであることに気づけないことが多い気が。。。


その試練は乗り越えられたら幸福感へとつながるのでしょうけれども、


試練のときは充足感はあるかもしれませんが

そこに幸福を感じられるような発想の転換が必要ということなんでしょうね。





②につづきます。