色即是空⑥最終話 | ドット模様のくつ底

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奈良が好きなライターの瞬間ブッダな日々の記録。
福祉的な目線から心の問題を考えています。

『心の微笑み』(東大寺唯心会発行)

⑤のつづきです。


戦後、日本の経済は急速に発展しました。

日本人の食糧の半分以上は輸入に頼っています。

また、着ているもの、住まいの材料なども多くは外国から輸入された品々です。

衣食住のすべてについて日本以外の国々と

現在ほど密接なかかわりあいを持った時代は今までになかったと思います。


縁が広がっていくことは有難いことですが、

なお、それだけに、その心構えも必要になって参ります。


そこで私は、食事の折にこんなことを思って頂くようにしています。

それは、食物を口に入れるときに、


「おまえは、どこから来たのか?」と問いかけるようにしているのです。


昨今、街を通りますと店頭に、いろんな食物が並んでいます。

いかにも食欲や購買欲を誘う品物が並んでいます。

私の目に触れ、味覚をそそることも佛法では大きな縁でしょうが、

ただ、目に触れ、味覚をそそるだけでは、通りすがりの縁でしかないでしょう。


しかし家内が丹念に料理し並べてくれる料理はまた特別な縁を感じます。

しかし、家内とて6人の家族の料理を作るのですから

私一人だけのものではない筈です。

その料理の中で、私が口にするのはその幾らかです。

そして、食物は口に入れ消化され、血肉になってはじめて私のものとなるのです。


不思議という外ない縁によって私は生きているのだ。

多くの生命を頂いて私は生きさせてもらっているのだ

との感慨を深くさせて頂くのが食事の時なのです。

食物を頂くことは、その生命を頂くことです。


縁によって結ばれ決して永遠ではない

この自分を育ててくれる多くの縁、

とりわけ生命を私に提供してくれた食物には

感謝すること以外に何の手だてもないように思います。


こうして多くの人々とのかかわりにおいて、

自然との繋がりにおいて、もっと大げさに言えば、宇宙なかかわりにおいて

ある状態が般若心経でいう「空」の世界の認識であり、

「色」の世界の認識であり「色」の存在の自覚ではないかと思うのです。


(途中省略)


私はどのお経を読ませて頂いても、こう思うのです。

日本に招来されてからでも、約1300年は経っています。

中には現代の私たちでは理解し難いものも多いですが、

今まで、ずっと評価されてきたというのには、

やはりそれだけの理由があってのことと思います。


こうして人々に読誦され尊敬され、神佛を問わず読誦されて来たお経には、

それだけの永遠なる真理と生命(いのち)があると信じたいのです。


般若心経をご縁に、皆さまと尊い時間を過ごさせて頂いたことを

厚く御礼申し上げます。


(『心の微笑み』東大寺第215世別当上司永慶猊下〈故人〉)



拙ブログにて

6回に分けてご紹介させて頂きました法話は

東大寺第215別当であった上司永慶様の法話でした。


ここまで読んで頂きまして

ありがとうございました。



ドット模様のくつ底
東大寺 食道前にて 6月20日撮影