「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」 正岡子規と松瀬靑々 | ドット模様のくつ底

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法隆寺でこの秋の時期に思い出すのは


この句ではないでしょうか。


「柿くへば 鐘が鳴るなり 法隆寺」


正岡子規さんが奈良の法隆寺へ

明治28年10月26日に訪れた際に読んだ一句です。


そして現在、
10月26日はなんと!


「柿の日」に制定されているそうなんですねー(笑)


何でもかんでも記念日が好きな
にぽんじんでございますな♪






「法隆寺の茶店に憩ひて


柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」


とこのように聖霊院前の鏡池横に

句碑が立っています。

この句碑は大正5年9月に

俳句の会、斑鳩吟社の

松瀬青々さんが建てたものです。






聖霊院です。


松瀬さんご本人も『ホトトギス』の編集にあたるなど

されていた俳人であり、

正岡子規さんに師事をした方でした。


この方が子規さんの句をここに建てたことで、


お寺を訪れる人の目に触れていくようになるわけです。



句をこのように残す人がいることで、
世に知られていくこともありますね。

作品を創る人、それを残す人。

今日はこの句を句碑として残した、
松瀬青々さんを顕彰したいと思いました。


(長老から教わりました)




鏡池と句碑です。


ごおおおーーーーん。


今日も柿の実りある秋の偶数時に鳴り響く、

西円堂の『時の鐘』に合掌。




松瀬 青々

(まつせ せいせい、明治2年4月4日1869年5月15日) -

昭和12年(1937年1月9日)は、俳人である。


大阪 生まれ。通称、弥三郎。俳句は正岡子規 に学んだ。

明治32年(1899年 )、それまで勤務していた第一銀行 を辞め、

9月から明治33年(1900年 )5月まで『ホトトギス 』の編集に従い、

明治34年(1901年 )3月『宝船』を創刊し、

のち『倦鳥』と改題し、その経営に当たった。

句集に『妻木』、また『巻頭言集』もある。書をよくした。

(wikipediaより)