奈良国立博物館が建設された経緯 | ドット模様のくつ底

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昨日から
奈良国立博物館ではじまりました、
第63回『正倉院展』

その奈良国立博物館が建設される
経緯を調べました。
再掲載ですがよろしければご覧下さいませ。

(以下、再掲載)

神社仏閣では慶応4年(1868)3月、

祭政一致の方針に基づいて、「神仏判然令」の太政官布告が出され、

廃仏毀釈の流れの中で各寺院は大改革の時代を迎えることになりました。


寺院では

幕末の混乱期にそのような廃仏の考えが押し寄せていき、

経済的な打撃を受けました。

慶応3年(1867)にフランスのパリで開催された

万国博覧会に参加した町田久成氏らにより、


日本固有の文化財の古美術を保護する必要性を唱えられ、

全国の古社寺の宝物調査がおこなわれていきました。


明治4年(1871)に文部省内に博物局が設けられ

湯島聖堂を博物館としたことから、日本の博物館の歴史ははじまります。


(町田久成氏は初代の博物館館長となり、のちに出家し、寺の住職となっています)


奈良では明治7年(1874)に官民合同による奈良博覧が創立され、

東大寺大仏殿とその廻廊が会場となり、

正倉院宝物や法隆寺献納宝物などが陳列されたことが博物館のはじまりです。


こういった文化財保護活動があり、

明治の廃仏毀釈によって散逸の恐れのあった仏教関連の文化財は、

人々にその価値を認識されていくようになっていったそうです。



以下、wikipediaより―――。


奈良国立博物館は1895年 (明治28年)、帝国奈良博物館として開館した。

開館までの前史として、奈良博覧会 の存在を看過することはできない。


1874年 (明治7年)、当時の奈良県 県令 ・藤井千尋が中心となり、

官民合同の奈良博覧会社が設立された。


翌1875年(明治8年)開催された第1回奈良博覧会は、

東大寺 大仏殿と周囲の回廊を会場として、

正倉院 宝物をはじめ、社寺や個人から出品された

書画、古器物、動植物標本、機械類などを陳列した。


80日間の会期中にのべ17万人が訪れる大盛況であったことが

当時の記録からわかる。


その後奈良博覧会は1877年 (明治10年)を除いて毎年開催され、

1890年 (明治23年)までに計15回を数えた。


当時、東京上野にはすでに宮内省 所管の博物館

(東京国立博物館 の前身)があったが、

1889年 (明治22年)、宮内大臣通達により


東京の博物館の名称を「帝国博物館」に改めるとともに、

京都 と奈良 にもそれぞれ帝国博物館を設置することが決まった。


こうして、興福寺 旧境内である現在地で

1892年 (明治25年)より建設工事が始まり、

1894年 に本館が竣工、翌1895年 に開館した。


1900年 (明治33年)には館名を奈良帝室博物館に改めている。

この呼称は1947年 (昭和22年)まで使われた。