2014年9月30日 吾輩はトイプードルである。(21)ガラパゴスな人たち。 | 横浜市中区の山手パーク歯科のブログ(石川町)

横浜市中区の山手パーク歯科のブログ(石川町)

横浜市中区石川町の歯医者が日々の生活で気付いたことを綴る趣味の日記です。最近では歯科の話以外の趣味やペットのブログにになりつつあります。。。

   2014年9月30日   吾輩はトイプードルである。(21)
              ガラパゴスな人たち。

吾輩は先日、誕生日を迎え8歳になった。



今年も家族が祝ってくれた。(そのブログはこちら→2012年9月8日吾輩はトイプードルである。(14)理想と現実のはざまで・・・。2011年8月25日吾輩はトイプードルである。(10)吾輩は5歳である。



最近母がケータイをかえた。

6が発表になる直前のiPhone5Sである。

姉たちに教えてもらうことを期待しての同機種である。

そのとき父も同席していたので「ご主人もいかがですか?」となったのだが、キッパリお断りしていた。



父はパナソニックのガラケーを使っている。

小さくて薄くて画面は小さいのだが表示される文字が大きいことが気に入っており、長いメールの送受信もめったにないので、スクロールが忙しいことは気にならないようだ。

普段仕事で忙しくしている父は、ほとんどケータイを使うことがない。



もちろん診療中は出られないし、帰宅前の「帰るコール」(死語?)(そのブログはこちら→2013年8月25日吾輩はトイプードルである。(18)死後(語)の世界)も話すことといったら「ごはんナニ?」ぐらいなので約10数秒もあれば足りてしまう。

だから父のケータイ使用料は月に約¥2000しかかかっていない。

父はこれすらも高いと思っているようだが、たまにメールは使うし休日に家族と買い物に出たときなどに別行動ができることに価値を見出しているようだ。



そもそも父はIモードによるメールが普及したときに「文通は文明として後退だ。」などと言っていた。

そんな父でもスマホにかえれば月数千円はかかってしまう。

父の友人に「豚に真珠、オジサンにiPhone」という名言がある。



iPhoneが登場するスマホ以前にも、ブラック・ベリーというインターネットにアクセスできるケータイはあったのだが小型の電卓のようなそれは、とてもスマートと呼べるものではなかった。

就任直後のオバマ大統領が持っていたり、外資系金融機関に勤務する父の知人が休日に海辺でいっしょにバーベキューを楽しみながら、それで株価をチェックしていたものである。



その後タッチパネル搭載のiPhoneが登場し世の中はかわった。

高機能でスマートがグローバル・スタンダード(世界標準)になり、使いこなしていなくても数千円という月のケータイ料金も定着させてしまった。

必要としていない父も、世の中に必要とさせてしまったスティーブ・ジョブズイノベーション(革新)として認めているようだ。



 父によると、昔はアップルといえばビートルズのレコードレーベル、マッキントッシュといえばコートか高級オーディオ・アンプ、マックといえばもちろんハンバーガーだったのだそうだ。

今回調べていてわかったのだが、マッキントッシュというカナダの農夫の名に由来するリンゴの種があり、日本では旭というブランド名で呼ばれるようだ。

要するにマッキントッシュ(マック)=アップルなのである。




少し右寄りな父は「低迷する日本経済を嘆く記事のどれだけがAppleや台湾製のPCで書かれているのだろう?」などと口にする。

しかし2008年型のガラケーを6年間も使い続ける父が、パナソニックや日本経済にどれだけ貢献しているというのだろう。

「いいものを大切にながく使う。」という古くからの日本人の美徳が、移り変わりの早い現代のグローバル社会で完全に裏目にでていると思う。




だが3.11を経験した吾輩たちは、身の丈にあった暮らしを目指したのではなかったか?

租税・雇用など地域社会に対する責任を回避して利益だけを追求する企業が、責任を負う企業を撃ちのめすのであれば、資本主義も終わりで自分勝手主義の到来なのではないか?

社会的責任から逃れた企業が強くなり、税収が減ってしまった国家が弱体化するのであればフィレンツェがメディチ家だった中世ルネッサンスにもどってしまい、それこそ文明として後退なのではないか?



カセットテープ・ウォークマン世代で、「競合メーカーと同じ性能でちょっと高いのだがカッコイイ」に弱い父はVAIOを愛用している。

そのSONYの最近の低迷ぶりは、そうとう深刻なようだ。



わが家も3台のiPhoneになり、父に対するApple製品のスマホ包囲網が確実に進んでいる。

久しぶりに家族全員がそろったという夕食直後でも、終わるや否や(as soon as)母・長女・次女の3人は食卓をかこんだままそれぞれに、シーンとしたスマホ・タイムに突入する。

取り残された高齢な祖母の同じ話を何度もきき「そうですか、そうですか。」と相槌をうつのは父の仕事である。

きっと普段忙しくしていて一緒にいられない父の、せめてもの罪滅ぼしでもあるのだろう。



言うまでもなくガラケーのガラは、ガラパゴスのガラであり「独自の進化を遂げた」という意味である。

実際、メールの受信告知機能などでは、いまだにスマホを凌駕する部分もあるらしい。



iPhone5Sを手にした母は、姉たちにめんどくさがられながらも教えてもらい、しだいに使いこなし始めLINEのスタンプなどを楽しんでいる。

そんな母も、昔はいったパソコン教室で「お宅のパソコンはマックですかウィンドウズですか?」ときかれて、真顔で「東芝です。」と答えてその場をひっくり返らせた前科がある。

それを考えると、ゆっくりだが「独自の進化を遂げて」なんとか世の中について行っているのだろう。



それに比べると時代と世間に簡単に流されることをよしとしない父は、ガラパゴスのゾウガメやイグアナたちのように、憐れみをもって「独自の進化を遂げた」と言われるものの、実は進化が止まっているように思えてならない。