あす3月24日の午後9時から、NHKスペシャル「古代史ミステリー ヤマト王権 空白の世紀」が放映されます。
内容の詳細はわかりませんが、倭の五王(讃・珍・済・興・武)について描かれるようです。
そこで、以前に倭の五王についてYouTube動画でシリーズ化していたこともあり、今回それをまとめた動画を作りました。
動画本編は私の説が中心となりますので、多くの異論もあると思います。
それで、今回動画では冒頭に中国史書に現れる倭の五王の記事や、一般的な解釈をまとめました。
その部分を以下に転記しておきたいと思います。
番組を視聴される方の参考になればうれしいです。
もし、私の説にご興味を持っていただける方がいらっしゃいましたら、下部のYouTubeリンクからご覧いただけると幸いです。
また、あす9時から番組と同時進行で、古荘さんという方の配信されているYouTube「地図をなぞって日本古代史を考える」チャンネルで、「一緒に視聴&大反省会」というライブが行われますので、お時間がある方はご参加されると面白いと思います。
先週のNスぺは邪馬台国の回でしたが、大いに盛り上がっていました。
★リンクは下に貼っておきます!
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《中国史書にあらわれる倭の五王》
年代順に抜粋して並べるとこのようになります。
413年
高句麗、倭国および西南夷銅頭大師、並びて方物を献ず。(『晋書』安帝紀)
安帝治世(397~418年)
晋の安帝の時、倭王賛あり。(『梁書』倭伝)
421年
倭讃が万里はるばる貢を修めた。(『宋書』倭国伝)
425年
讃、司馬曹達を遣わし、表を奉り方物を献ず。(『宋書』倭国伝)
430年
倭国王、使いを遣わして方物を献ず。(『宋書』文帝紀)
不明年
讃死して弟珍立つ。使いを遣わして貢献す。珍を安東将軍・倭国王に除す。倭隋ら13人に将軍号をゆるす。(『宋書』倭国伝)
438年
倭国王珍を以て安東将軍となす。倭国、使いを遣わして方物を献ず。(『宋書』文帝紀)
443年
倭国王済、使いを遣わして奉献す。安東将軍・倭国王となす。(『宋書』倭国伝)
倭国、使いを遣わして方物を献ず。(『宋書』文帝紀)
451年
(済に)使持節・都督・倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事を加える。(『宋書』倭国伝)
安東将軍倭王倭済、号を安東大将軍に進む。(『宋書』文帝紀)
不明年
済死す。世子興、使いを遣わして貢献す。(『宋書』倭国伝)
460年
倭国、使いを遣わして方物を献ず。(『宋書』文帝紀)
462年
世子興に爵号を授け、安東将軍・倭国王とすべし。(『宋書』倭国伝)
倭国王世子興を以て安東将軍となす。(『宋書』文帝紀)
不明年
興死して弟武立つ。(『宋書』倭国伝)
477年
倭国、使いを遣わして方物を献ず。(『宋書』順帝紀)
478年
(武)使いを遣わして上表す。武を使持節・都督・倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事・安東大将軍・倭国王に除す。(『宋書』倭国伝)
倭国王武、使いを遣わして方物を献ず。武を以て安東大将軍となす。(『宋書』順帝紀)
479年
倭王武の号を鎮東大将軍となす。(『南斉書』倭国伝)
502年
鎮東大将軍倭王武、号を征東将軍に進む。(『梁書』倭伝)
上記のうち、最初の『晋書』による義熙9年(413年)の記事およびそれに類する『梁書』倭伝の記事については、高句麗による偽使説が有力視されています。
つまり、当時の朝鮮半島における倭国と高句麗の敵対状況などを勘案すれば、両国が頭をそろえて朝貢する可能性は低いので、高句麗が偽の倭の使者を仕立て上げたのだろうと考えられています。
そうすると、倭の五王の遣使は421年にスタートしたことになります。
ちなみに、倭の五王の前に、中国史書に倭国が登場するのは、266年の遣使朝貢までさかのぼります。邪馬台国の壹与によるものだと考えられています。
『晋書』武帝紀に「泰始2年(266年)11月に倭人が来て産物を献上した」とあり、『晋書』四夷伝にも「倭人が泰始の初めに遣使し、通訳を重ねて入貢した」とあります。
また、『日本書紀』の神功皇后紀に引用されている『晋起居注』(現存しない)にも、泰初(泰始?)2年(266年)に倭の女王が遣使朝貢したと記されています。
つまり、266年から421年の間の155年間は、中国史書に倭国・倭人がいっさい登場しないのです。
それでこの期間は、「空白の150年」、「空白の四世紀」と呼ばれているのです。
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中国史書に登場する倭の五王の系譜を示すとこのようになります。
『宋書』と『梁書』で多少の違いがありますが、『宋書』が宋の滅亡から近い時期に編纂されていることや『梁書』自体の信ぴょう性に多くの疑問符が付けられていることから考えて、『宋書』が正しいだろうと考えられています。
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五名の倭王は誰だと考えられているのでしょうか?
これには、いろいろな説があります。
『日本書紀』の紀年と『古事記』崩年干支の「いいとこどり」をする形で、讃=仁徳天皇(もしくは履中天皇)、珍=反正天皇、済=允恭天皇、興=安康天皇、武=雄略天皇という比定が有力説となっています。
ほかにも讃を応神天皇、珍を仁徳天皇とするような説もありますが、済、興、武については、允恭、安康、雄略とする説がほぼ鉄板の定説のように語られています。
★ただし、私は復元紀年からこの年代を考察して、武=雄略天皇以外の比定は間違っていると考えています。
【古代史新説チャンネル】動画
倭の五王〈空白の四世紀を超えて現れた五人の大王〉
地図をなぞって日本古代史を考える
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