二つの天孫降臨と饒速日命の正体 | 邪馬台国と日本書紀の界隈

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邪馬台国・魏志倭人伝の周辺と、まったく新しい紀年復元法による日本書紀研究についてぼちぼちと綴っています。

【お知らせ】

●11月3日にスタートする古代史系ユーチューブコラボ企画「古代史論の分かれ道」(参加チャンネル:「地図をなぞって日本古代史を考える」「武田晴樹 燃え盛るように熱い日本古代史」「岡上佑の古代史研究室」「古代史新説チャンネル」)の初回テーマが発表されました。

●初回テーマは「奴国は二つあったのか?」です。魏志倭人伝に二度言及され、従来からさまざまな解釈がなされてきた「行程記事の奴国」と「旁国の奴国」について考えます。4つのチャンネルがどのような結論を導き出すのか? ぜひご視聴のうえ、比較検討してみてください!

 

 

 神武天皇31年条の巡幸記事には大和の命名譚が語られます。

 まず、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が「磯輪上秀眞国(しわかみのほつまくに)」と名付けます。

 次に、大己貴神(おおあなむちのかみ)が「玉牆内国(たまかきのうちつくに)」と名付けます。

 次に、饒速日命(にぎはやひのみこと)が「虚空見日本国(そらみつやまとのくに)」と名付けます。

 そして、神武天皇が「秋津洲(あきつしま)」と名付けます。

 伊弉諾尊については純粋な天地開闢神話の登場神と考えていますので除外しますが、この記事にしたがえば、大和の地を治めた人物が、大己貴神➡饒速日命➡神武天皇という順に替わっていったことがわかります。

 

 饒速日命は、神武東征に際して、神武天皇軍と互角に戦った在地豪族である長髄彦(ながすねひこ)の義理の弟(長髄彦の妹三炊屋媛(みかしきやひめ)と結婚)であり、天神の子であるとされます。

 そして、饒速日命の前に大和を治めていた大己貴神は、出雲の国譲りに登場する神です。高天原の高皇産霊尊(たかみむすひのみこと)が送り込んだ経津主神(ふつぬしのかみ)と武甕槌神(たけみかつちのかみ)に国譲りを迫られ、子の事代主神(ことしろぬしのかみ)とともに国を差し出してしまいます。

 以上を合理的に解釈すれば、饒速日命は出雲(命名譚から大和を含むことは明らか)の国譲り後に、大和に降臨した神であると読み解けます。記事でも、天磐船(あめのいわふね)に乗って天から飛び降ったとされています。

 

 では、この饒速日命とはいったいどのような素性の人物なのでしょうか?

 それを、『日本書紀』、『古事記』、『出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかむよごと)』という三つの文献から検証すれば、「饒速日命は天穂日命(あめのほひのみこと)の子」であると推定できます。天穂日命は、天照大神の身に着けていた八坂瓊之五百箇御統(さやかにのいおつのみすまる)から誕生したとされる神です。

 そして、饒速日命の別名は、武日照命(たけひなてるのみこと)であり、武夷鳥命(たけひなとりのみこと)であり、天夷鳥命(あめひなてるのみこと)であり、大背飯三熊之大人(おおそびのみくまのうし)であることがわかります。このうち、高天原における天穂日命の子の正式名称は大背飯三熊之大人です。

 

 さて、出雲の国譲り後に、饒速日命が大和に降臨したのであれば、それは「天孫降臨」と言えます。皇祖神である天照大神の孫だからです。

 一方、現行の『日本書紀』の天孫降臨神話で、日向に降臨するのは皇祖神である高皇産霊尊の孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)です。

 つまり、「天孫降臨」は二つあったのです。

 しかし、『日本書紀』は瓊瓊杵尊の日向への天孫降臨を採用し、饒速日命の大和への天孫降臨は抹消しています。

 その理由は明白です。

 どちらがのちのヤマト王権に繋がっているかで取捨選択されたわけです。

 すなわち、日向へ天孫降臨した瓊瓊杵尊の子の初代天皇(=彦火火出見尊=神武天皇:本ブログの説です)が饒速日命を帰順させてヤマト王権を成立させたからなのです。

 

 このように考えれば、『日本書紀』の神代の記事における「なぜ出雲を差し出させたのに、日向に降臨したのか?」という矛盾も、その原因が明らかです。

 さらに、大和に降臨した人物の二つの名前を見比べると面白いことがわかります。

 高天原での名前は大背飯三熊之大人であり、大和での名前は饒速日命ですが、この二つの名前を入れ替えるとしっくりと落ち着くのです。

 大背飯三熊之大人という名前は高天原の神々の中ではとても異質な名前です。「大人(うし)」という尊称も大背飯三熊之大人にしか与えられていません。

 この「大人」は土地を領有する人に用いる尊称でもあるようなのです。まさに、大和を治めた人物にふさわしい名前と言えます。

 そして、大和で妻とした三炊屋媛と対比させると、「三」が共通し、「飯」と「炊」が対応しています。また、義兄の長髄彦は「長髄=高い背丈」を表し、大背飯三熊之大人も「大背=高い背丈」を表しているのです。

 一方、饒速日命を高天原系譜上で大背飯三熊之大人の代わりに配置すると、「命」という尊称や「速日」という名前が、違和感なく収まるのです。

 

 まとめると以下のようになります。

・天照大神の孫の饒速日命は、「出雲の国譲り」後の「大和(出雲も含む)へ天孫降臨」した。

・高皇産霊尊の孫の瓊瓊杵尊は、「日向へ天孫降臨」した。

・その後、瓊瓊杵尊の子である神武天皇が東征に出発し、大和において饒速日命(厳密には二代目饒速日命の可美真手命)を降伏させ、ヤマト王権を樹立する。

・だから、『日本書紀』は「瓊瓊杵尊の天孫降臨」を採用し、「饒速日命の天孫降臨」は抹消した。

 

 

☆以上のような内容を以下の2動画でまとめていますので、よろしければご視聴ください。

 

日本書紀が書かなかった天孫降臨〈神話の謎!〉【日本書紀の界隈042】

 

 

 

饒速日命の正体〈高天原と大和:2つの名前〉【日本書紀の界隈043】

 

 

 

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