日本武尊(中):356年東国遠征~357年崩御/原日本紀の年代記〈11〉 | 邪馬台国と日本書紀の界隈

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邪馬台国・魏志倭人伝の周辺と、まったく新しい紀年復元法による日本書紀研究についてぼちぼちと綴っています。

古代日本の伝説的人気ヒーローであるヤマトタケルの人生を復元しています。熊襲を平定したヤマトタケルは、矢継ぎ早に東国遠征に向かうこととなります。

*「原日本紀の年代記」は本ブログで独自に紀年復元した年代観にもとづいています。

 

日本武尊=誉津別命(ほむつわけのみこと)

*原日本紀仮説にもとづく考察により、ふたりの同一人物説を採用しました。書紀は前半生を誉津別命、後半生を日本武尊として描いていると考えます。

 

【356年:景行40年:39歳】

6月、東国の蝦夷がそむいて、辺境が騒動となった。

7月16日、天皇は群卿に誰を平定に遣わすかを相談された。

群卿は答えられなかったが、日本武尊が「私は先に西の征伐に行きました。今度の役は大碓皇子(おおうすのみこ)がよいでしょう」と兄を推薦する。しかし、大唯皇子は恐れて隠れてしまう。天皇は「まだ敵に会う前から恐れるとはなにごとだ」と責め、大碓皇子を美濃国に封じられた。

そこで、日本武尊は、「熊襲を平らげてまだ幾ばくの年も経っていないのに、東の蝦夷がそむいた。いつの日に平定できるでしょうか。大変ですが急いでその乱を平らげましょう」と申し出る。

*ここで、日本武尊の言葉の中に「熊襲既平 未経幾年(熊襲を平らげてまだ幾ばくの年も経っていない)」という文言が出てきます。書紀設定では、熊襲平定は景行27年、この蝦夷征伐出発の年は景行40年です。これは充分に年を経ていると思うのは私だけでしょうか。これを原日本紀年表で見てみると、熊襲平定は354年、蝦夷征伐出発年は356年となります。まさに幾ばくの年も経ていないという言葉が当てはまります。ここにも、紀年延長の痕跡が見られます。

 

天皇は、「朕(われ)聞く。東の蝦夷は凶暴で云々(略)」と蝦夷の狂暴性をこんこんと語り、その平定を日本武尊に託す。

日本武尊は斧鉞(おのまさかり)(将軍のしるし)を賜り、吉備武彦と大伴武日連(たけひのむらじ)が討伐に従うこととなる。

10月2日、日本武尊は出発し、7日に伊勢神宮を拝まれた。そこで倭媛命(やまとひめのみこと)に別れの言葉を述べ、倭媛命から草薙剣(くさなぎのつるぎ)を授かる。

日本武尊が駿河に着かれたとき、賊が大鹿の狩りを進言し、日本武尊は野に入り狩りをされる。賊は日本武尊を殺そうと、野に火を放つ。欺かれたと知った日本武尊は火打石を取り出し、迎え火をつくって難を逃れ、賊をことごとく焼き滅ぼす。

*ここに異伝として草薙剣の名前の由来が語られます。倭媛命から授かった剣は天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)という名であったが、この時、剣みずからが日本武尊の周囲の草を薙いで日本武尊を救ったので、草薙剣と名付けられたというものです。天叢雲剣は、素戔嗚尊(すさのおのみこと)が八岐大蛇を退治した時に、その尾から出てきた剣とされているものです。

 

進んで、相模から上総(かみつふさ)へ海を渡ろうとされるが、その航海中に暴風にあい船が漂流する。そこで、同行していた穂積氏忍山宿禰(ほづみのうじのおしやまのすくね)の女(むすめ)である弟橘媛(おとたちばなひめ)が、「暴風で船が沈もうとしていますが、これは海神のしわざです。私が身代わりに海に入りましょう」といって海に入ると暴風は止み、無事に岸に着くことができる。

さらに、日本武尊は上総から陸奥国(みちのくのくに)に入られる。船に大きな鏡を掲げて、海路、葦浦に回り、玉浦を横切って蝦夷の境界に至る。

蝦夷の首領の嶋津神・国津神たちが、竹水門(たかのみなと)でそれを防ごうとするが、遠くから日本武尊の王船(みふね)を見てその威勢に怖じ気づき、勝てそうにないと思ってことごとく弓矢を捨てて仰ぎ拝んで「あなたのお顔を拝すれば、秀れた方だとわかります。神様でしょうか。お名前をお聞かせください」と申し上げた。日本武尊は「私は現人神(あらひとがみ)(天皇)の子である」と言う。

蝦夷らは畏まって、着物をかかげ波を分けて王船が岸に着くのを助けた。そして、みずから縛について服従したので、その罪は許された。その首領は手下とされた。

このように蝦夷を平定され、日高見国(ひたかみのくに)から帰られ、常陸(ひたち)を経て、甲斐国(かいのくに)に至り、酒折宮(さかおりのみや)においでになった。

そこで歌によって従者に「新治(にいばり)や筑波を過ぎて何日経ったか」と尋ねられたが、答えはなかった。そこで秉燭者(ひともすもの)(火を灯す役)が「9夜10日です」と答えた。日本武尊はそれを褒められ、靫部(ゆけいのとものお)を大伴連の遠祖である武日(たけひ)に賜った。

ここで、日本武尊は「蝦夷の悪い者たちはすべて罪に服したが、信濃国と越国だけがまだ少し王化に浴していない」と言われ、甲斐から北の武蔵・上野(かみつけの)をめぐって西の碓日坂(うすひのさか)に至られた。ここで、日本武尊は弟橘姫を思われ、碓日嶺(うすひのみね)に登り東南を望んで「吾嬬(あずま)はや(わが妻よ)」とおっしゃった。それで、碓日嶺より東の諸国を吾嬬国と言う。

ここで一行は二手にわかれ、吉備武彦は越の国へ遣わされ、日本武尊は信濃に進まれる。この国は山が高く谷が深い。道が険しく馬も進もうとしない。しかし、日本武尊は霞を分け、霧を凌いで大山を渡って行かれた。

嶺に着かれて、空腹のため山中で食事をされた。そのとき、山の神が日本武尊を苦しめようと、白い鹿となって前に立った。日本武尊は怪しんで、一箇蒜(ひとるひる)(にんにくの一種)を白い鹿に弾くと、それが眼に当たって死んだ。ところが、たちまち道を失い出るところがわからなくなった。

そこへ白い犬が来て、日本武尊を導いたので、美濃に出ることができた。

これより以前、信濃坂を越えようとする者は神気(しんき)にあたって病む者が多かった。日本武尊が白い鹿を殺されてからは、蒜を噛んで人や牛馬に塗ると神気にあたらなくなった。

*東国遠征については、具体的に誰を殺したとか、どのように戦ったという具体的な記述がありません。東国をめぐり歩いて、各所でヤマト王権の傘下に入るよう説得(脅迫?)して同意を取り付けていったというようなイメージでしょうか。3年前(353年:景行25年)から2年前(354年:景行27年)にかけて、武内宿禰を東方と北陸の諸国に派遣し、地形や人民を調査させたという記事がありますから、その情報が十分に活用されたのだと思います。

 

【357年:景行43年:40歳】

日本武尊は尾張に還られ、尾張氏の女宮簀姫(みやすひめ)を娶って久しく留まられた。

近江の五十葺山(いぶきやま)(現在の伊吹山)に荒ぶる神がいることを知り、剣を宮簀姫の家に置いたまま徒歩で行かれた。胆吹山(いぶきやま)(=五十葺山)に至ると、山の神は大蛇に化けて道にいた。

日本武尊は主神(神の正体)が大蛇に化けていることを知らずに、「この大蛇は神の使いだろう。主神を殺せばこの使者は取るに足らない」と言われ、蛇を跨いでなお進まれる。

神は雲をおこして氷(雹)を降らせる。峯に霧がかかり、谷は暗くて、進む道がなかった。さまよって歩くところがわからなくなる。

それでも霧の中を強行し、なんとか出ることができる。しかし、意識もうろうとなり酔ったようになられた。そこで、山の下の泉で水を飲むと、それが醒めた。それで、その泉を居醒井(いさめがい)という。

日本武尊は、ここではじめて病気になられた。そして、ようやく起きて尾張に還られるが、宮簀姫の家には入られず、伊勢の尾津に到られる。

以前、日本武尊が東国に行かれ尾津浜で食事をされた時に、松の根元に一本の剣を忘れて行かれたのだが、そこに行くと剣がそのまままだあった。そこで、一本松に歌を詠まれた。

能褒野(のぼの)に着かれると、病気がひどくなった。そこで、俘(とりこ)にした蝦夷たちを伊勢神宮に献上される。また、吉備武彦を遣わして、天皇に「私は命を受けて、東夷を伐ち、荒ぶる神も従えました。いつか復命しようと思っていましたが、天命に至りて、余命いくばくもありません。自分の身が滅ぶことは惜しみませんが、お仕えできなくなることだけは残念です」と伝える。

そして、能褒野で崩御された。歳は30歳であった。

*2年にわたる日本武尊の東征譚をみてきました。この景行天皇の治世43年については、例外的に文末に年次が記されているので、話のどこからが景行43年の記事なのかは不明です。ただし、出発が景行40年(356年)であり、崩御が景行43年(357年)であることは確かなように思えます。ここでは、尾張で宮簀姫と結婚された以降を43年としました。

 

 

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(参考文献)

坂本太郎ほか校注『日本書紀(一)』岩波文庫

宇治谷孟著『日本書紀(上)全現代語訳』講談社学術文庫

 

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