一事主神と事代主神は同一神? | 邪馬台国と日本書紀の界隈

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邪馬台国・魏志倭人伝の周辺と、まったく新しい紀年復元法による日本書紀研究についてぼちぼちと綴っています。

 奈良盆地南西部の御所市(ごせし)に葛城一言主神社(かつらぎひとことぬしじんじゃ)という神社があります。葛城山麓にある、立派できれいな社殿を持つ神社です。

 ご祭神は一言主大神(ひとことぬしのおおかみ)で、願い事を一言だけ聞き届けてくれる「いちごんさん」として親しまれていて、「無言まいり」の神として信仰されています。

 

【葛城一言主神社拝殿】

ここが、全国各地の一言主神を奉斎する神社の総本社だそうです。

 

 この一言主大神は、『日本書紀』では「一事主神(ひとことぬしのかみ)」として登場します。第21代雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)の治世です。西暦では5世紀後葉ぐらいになるでしょうか。4年2月条に次のような話が語られています。

 

 雄略天皇が葛城山に狩りに行かれたときのことです。突然、自身に容貌の似た背の高い人に出会われます。天皇は神であると思いつつ「どこの公(きみ)ですか?」と尋ねます。すると、背の高い人は「現人神(あらひとがみ)である。あなたが先に名乗れば、私も名を教えよう」と答えます。

 そこで天皇が「私は幼武尊(わかたけるのみこと)である」と告げると、「私は一事主神(ひとことぬしのかみ)である」と明かします。

 その日、雄略天皇と一事主神は一日一緒に轡(くつわ)を並べて狩りを楽しまれます。そして、日が暮れると、一事主神は雄略天皇を帰途の来目川(くめのかわ)までお送りしました。

 

 この一事主神が『日本書紀』に登場するのはこの場面一回きりですが、名前が似ているところから「事代主神(ことしろぬしのかみ)」と同一神であるとする説があります。

 

 一言主神社からそう遠くないところに、事代主神(積羽八重事代主命(つわやえことしろぬしのみこと))を祀る鴨都波神社(かもつばじんじゃ)もあります。その由緒には、「事代主神は元来、鴨族が信仰していた神であり、当社が事代主神の信仰の本源である」とあります。

 

【鴨都波神社拝殿】

 

【鴨都波神社本殿】

 

 こちらの事代主神は、一般的には恵比寿様(えびすさま)や「えべっさん」として古くから商業の神、商売繁盛の神として親しまれてきた神です。

 事代主神は『日本書紀』に幾度も登場します。素戔嗚尊(すさのおのみこと)の血をひく海の神という神性や、言葉の神、託宣の神という神性など多彩な面を持つ神としてです。

 

 ざっとみると、まず出雲の国譲りに登場します。

 素戔嗚尊の子の大己貴神(おおあなむちのかみ)の子として、国譲りを決断する重要な役割を担います。

 

 次に、初代神武天皇の皇后となる媛蹈鞴五十鈴媛(ひめたたらいすずひめ)の父として登場します。神武天皇の義理の父ということになります。

 これに付随して、欠史八代(けっしはちだい)の系譜にも何度か名が記されます。第2代綏靖天皇(すいぜいてんのう)と第3代安寧天皇(あんねいてんのう)の両天皇の母の父としてです(綏靖天皇の母の媛蹈鞴五十鈴媛と安寧天皇の母である五十鈴依媛(いすずよりひめ)は姉妹だからです)。続く第4代懿徳天皇(いとくてんのう)の母も、事代主神の孫の鴨王(かものきみ)の娘だとされています。

 ほとんど何の事績も出来事も記されない欠史八代の天皇紀に、ここまで言及される事代主神とはいったい何者なのかと思ってしまいます。

 

 そして次に登場するのは、時代が下って神功皇后(じんぐうこうごう)摂政前紀になります。西暦では4世紀後半です。詳細は省きますが、ここでは純粋な託宣の神として描かれています。

 

 その後に、先ほどの雄略天皇紀があるわけですが、それ以降にももう一度登場しています。それは壬申の乱(じんしんのらん)(672年)の場面です。

 天武天皇軍が劣勢になる中、高市県主許梅(たけちのあがたぬしこめ)に神懸かって託宣し、軍を護るのが事代主神なのです。

 

 こうしてみると、事代主神は素戔嗚尊の系譜を引き継ぐ、ある種「実在としての神」の登場の仕方と、その後の「純粋な託宣神」としての登場の仕方の2種類があります。

 すると、雄略天皇紀に登場する一事主神は非常に異質な描かれ方ということになります。葛城山にいる神ではあるが、特に雄略天皇に神意を告げるわけでもなく、ともに狩りを楽しむというためだけに現れるのです。

 結論として、一事主神が登場するのは雄略天皇紀のみであることや、説話自体がとても具体的なことなどを考えると、安易に同一神とみるのは控えたようがよいのかもしれません。雄略天皇の時代に、葛城に一言主大神のモデルとなった人物がいた可能性もあります。

 ちなみに、昨年末にお目にかかった古代史の著名な先生は、一事主神(一言主大神)と事代主神は明らかに別神だと言われておりました。

 

 そして今回、新著『日本書紀「神代」の真実』の執筆にあたって、(一事主神ではなく)事代主神が、ヤマト王権誕生以前の真実解明において、その鍵を託されていた重要な神だったということが判明しました。

 すべての事を知る神=事代主神というネーミングも実に暗示的です!

 詳細は本書で! 本日10月8日発売されました! よろしくお願いします。

 

 

 

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