長い時間の流れの中で【101】 1・17 亀裂 | ぴかるんのブログ

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ピンクのポンポン

ピンクのポンポン★80(80-101)



※阪神・淡路大震災を源とする物語(フィクション)です

 尚、ピンクのポンポンの時計は、今も去年の夏の代々木体育館で止まったままなので、登場人物が過去の出来事を考える時、1年の時差が生じますので、ご了承下さい。


§☆§★§☆ V⌒⊥⌒V ☆§ ★§☆§

 ボランティアの人達が増え、炊き出しのある日は、温かいものを食べられるようになった。授業らしきものが再開されたけど、私達姉妹のうに、教科書するら持っていない生徒も多かった。家から持ち出せなかったり、火事で焼けたり、汚れて使えない状況になってしまったりと、理由は色々だった。

 祖父は自宅近くの小学校で避難生活を続けて、父は平日は会社へ出勤し、週末はボランティアの人達と共に作業をしたり、他の避難している人達と共に、世話役の組織のようなものを立ち上げて、それに加わった。
 同じ避難所で暮らす人達の要望を聞いたり、ボランティアの人達との間に入ったり、また、同じく避難している人達の相談にのったり、時には世間話の話し相手になったりしていた。


 父が役員の組織のようなものに入っていることで、一つだけ嬉しかったことがあった。震災を予知し、その後はガス漏れを教えてくれたシェパードの飼い主家族も、車を学校の敷地内に停めて、犬は車で、人は体育館で眠ることが認められたのだった。
 他にも、ペットを飼っていて避難できない人達が車や、地震の被害をうけた家で過ごしていることが分かり、そういう人達のために、教室の一部が開放されたのだった。
 シェパードを飼っていたおばさんと体育館の玄関で会った時、
 「あんたのお父さんが話してくれたんでしょ? ありがとう、助かったわ」と、お礼を言われた時はとても嬉しかったし、誇らしく感じた。

 他にも、午後には、小さい子供の遊び場所としての教室開放も始まり、母と一緒に居ると、
 「お宅の御主人のおかげで、助かったわ」と母もお礼を言われることもあり、嬉しいけれど、くすぐったい気持ちになったのだった。

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{ 悲しいかな、
物語のスピードアップを
一応、
始めてみました d(^^;)


何かですね、
既に、淋しい気持ちが強いです

まだ
手元にチケットはあるし、
買い足したのに……
 ]