※阪神・淡路大震災を源とする物語(フィクション)です
尚、ピンクのポンポンの時計は、今も去年の夏の代々木体育館で止まったままなので、登場人物が過去の出来事を考える時、1年の時差が生じますので、ご了承下さい。
母が座っている父の肩に両手を置き、テレビの上にフイルムが置きっぱなしになっていると勘違いしたので、湯たんぽへ入れるお湯を沸かしている間に、食器棚に片付けていたことを、すっかり忘れていた。そして火事になって、慌てて逃げ出した後、私の言った『ママ、昨日、撮った写真……』という言葉で、フイルムのことを思い出したのと、他にも取りに戻りたいものがあったので、取りに戻ったと説明したのだった。
「無茶はあかんけど、ありがとう」
父が顔を上げて母を見た。
「私達も写っている大切な写真ですから。それと、これ……」
母はジャンパーのファスナーを開くと、お腹に巻いていたマフラーを外し、中から何かを取り出そうとした。
皆で、母が何を取り出そうとしているのだろうと見ていたら、マフラーの中から、赤紫色の四つ葉模様の入ったマグカップが出てきた。
「これ……」
祖父が手を伸ばしたので、母は両手でマグカップを祖父に渡した。
「家族全員のマグカップ、フイルムと一緒に取りに戻ったんです。またこのマグカップで6人揃って、お茶を飲みたかったんですけどね……」
「そやな。でも、これは持たせてやらんとな。途中で川の水も飲めへんからな。枕元に水、汲んでおいときたいけど、色々、言われとう人らもおるし、もう布団の中で握らしたるな」
そう言うと、祖父が布団の中に両手を伸ばした。
「これ、何や?」
お隣のおばあちゃんに貰った羊羹が、祖父の手に触れたようだった。
「さっき、言うた通り、向こうの体育館で、お隣のおばあちゃんが、母親、死んだこと言うたら、今朝、お袋に渡してくれ言うて渡された」
「……。こんな時に、ありがたいなぁ」
祖父が初めて、涙を流した。