長い時間の流れの中で【54】 1・17 失い続ける時 | ぴかるんのブログ

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ピンクのポンポン

ピンクのポンポン★80(80-54)



※阪神・淡路大震災を源とする物語(フィクション)です

 尚、ピンクのポンポンの時計は、今も去年の夏の代々木体育館で止まったままなので、登場人物が過去の出来事を考える時、1年の時差が生じますので、ご了承下さい。


§☆§★§☆ V⌒⊥⌒V ☆§ ★§☆§

  かりん糖の袋に手を伸ばし、丁寧に袋の上部を開いくと、黒糖の甘い匂いが広がった。
 「ええ、匂い!」
 そう言って、おばあちゃんの顔の前にも開いたかりん糖の袋の口を近づけると、
 「ほんまやな」と言い、おばあちゃんも笑った。
 早速、一つを手に取り、口の中へ入れた。人目も匂いも音も気にせずに、甘い物を食べることが、震災からまだ四日目なのに、随分と久しぶりの事の様に感じた。

 「おいしい……」
 そう言うと、
 「もっと食べ、な」と言い、おばあちゃんが笑った。
 「うん、でも、おばあちゃんも」と言い、袋を向けると、おばあちゃんもかりん糖を一つ手に取ったので、私は安心して、次のかりん糖に手を伸ばしたのだった。


 震災の日、母は暗くなると料理ができなくなるからと、早めにガスで御飯を炊いておにぎりを用意してくれていたけれど、結局、近所でのガス漏れが発見され、一度目、小学校へ避難する時、荷物に入れなかったので、母のおにぎりは食べることなく、火事で燃えていた。
 その後、口にしていたのは配給される乾パンと断水していない小学校の水道水だけだった。
 いつまで、そんな状態が続くのだろう?と、不安で一杯だった時に食べたかりん糖の味は生涯、忘れられない味となった。お土産用やお客様用の高い物ではなく、何処にでも売られている、珍しくも何とも無いかりん糖が、数日、食べ物に困っただけで、有難い存在となっていたのだった。

 数日間、ちゃんと食べていなかったせいか、かりん糖を少し食べただけでお腹一杯になってしまった。私が遠慮していると思ったのか、おばあちゃんが、
 「遠慮せんと、もっと食べ」 と言ってくれたけれど、
 「いっぺん(一度)に食べたら、勿体ないさかい、今度にする」と言うと、
 「うん、分かった」と言いつつも、かりん糖の袋の口を私の方に向けたままにしておいてくれた。

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<(_`_)>
{ 三郎は誰?
一人で二役? 三役?

頼朝・義経の二役やっちゃうと、
また年輩の方達には難しいかと……
露骨だと分かり易いけど、
サラリとやっちゃうと……

もしや、京様が兄上?

想像が絶えません
 ]