※阪神・淡路大震災を源とする物語(フィクション)です
尚、ピンクのポンポンの時計は、今も去年の夏の代々木体育館で止まったままなので、登場人物が過去の出来事を考える時、1年の時差が生じますので、ご了承下さい。
お昼を過ぎても、何も配布される気配は無かった。校舎の方へ何か荷物は運び込まれているけれど、子供目線で見ても、運び込まれた荷物の量は少なかった。
昨日の朝から小学校へ避難している同級生達から、昨日は朝昼兼食と夕飯の二回非常食の乾パンが配布されただけだったという話を聞いていた。
昨日、簡単とは言っても、ちゃんと朝御飯やお昼御飯を食べたことが申し訳なく思った。母が早めに作っておいた夕飯のおにぎりを食べることは出来なかったけれど、震災発生後、直ぐに避難してきていた同級生達に比べたら、贅沢な環境だったし、キャンディの甘い香りに、敏感に反応した大人が居たことにも納得できた。
体育館へ戻ってから、母に、同級生から聞いた話をすると、
「そうみたいね、でも、人間、一日、食べなかっただけで、死んだりはしないわよ。それより、お薬を服んだりしなきゃいけない人達の方が大変よ」
「薬、なくなったら、死ぬん?」
「そういう人達は病院に入院していると思うけど、具合が悪くなると大変でしょ?」
「そうやな」
「後は風邪とインフルエンザか……」
その時、独り言の様につぶやいた言葉は、すぐに現実となったのだった。
体育館に居るのも退屈だったので、再び外へ出た。体育館から出る時、再び、右手をジャンパーのポケットに入れてフイルムのケースが入っていることを確かめた。
妹も一緒に外へ出ようと誘ったけれど、母と共に体育館に残ると言ったので、一人で外へ出た。
同級生の姿が全く見えなかったので、一人で鉄棒で遊んでいたけれど、退屈した。ブランコは中学生達に占領されいたし、ジャングルジムも同じく別のグループの中学生達に占領されていて、結局は鉄棒しか居場所が無かった。