※阪神・淡路大震災を源とする物語(フィクション)です
尚、ピンクのポンポンの時計は、今も去年の夏の代々木体育館で止まったままなので、登場人物が過去の出来事を考える時、1年の時差が生じますので、ご了承下さい。
幸い、二階は大きな家具を壁に固定してあったことと、冷蔵庫も専用スペースを壁で作って仕切っていたのと、突っ張り棒を設置していたせいか、手前側に少しだけ移動しただけで済んでいた。そして、地震の多い都内で育った母が地震の衝撃で扉が開くことのない食器棚や吊り棚を選んでいたせいか、家電製品が床に落ちていた程度で、食器棚の中は乱れていても、食器は一枚も壊れていなかったらしい。でも、ダイニンクテーブルと椅子が震災による揺れで、リビングとの仕切り戸にぶつかったり、倒れたりしていてテーブルや椅子、壁や床、仕切り戸に傷がたくさんできていた。
リビングもソファが動いて、テレビも台から落ちていたけれど、子供部屋の様に窓は割れていなかった。
二階から戻ってきた父が、二階は大丈夫だからと、母に声を掛けにきたけれど、私も妹も二人だけで居ることが恐くて、布団を持ったまま、母と共に降りて行くと、既に雨戸もカーテンも開けられていて、電気がなくても、家の中は十分に明るい状態だった。
ガスと水道が使えることを確認した母は、土鍋で御飯を炊き始めた。そして、お湯を沸かすと、紅茶とトーストされていない食パンとジャムだけという簡単な朝食を用意してくれた。
「今日は、学校、行かんでええからな」
いつもの賑やかな朝とは違い、誰も何も喋らなかった。一人、先に食パンを食べ終えた所で父が言った。
「でも、生徒の安否確認したいかもしれないし……」
「電話が使えへんから、連絡網も回ってこうへんし(回ってくることはないし)、先生も何人、来れるか…… もう一回、大きいの来たら、どないなる?」
「……」
「子供部屋片付けたら、実家行ってくる。ごちそうさん」
そう言うと、父はダイニングテーブルを立ち、一階の玄関へと下りてから、三階へと上がって行った。
「ママ、外、どないなっとんやろ?」
妹が弱々しい声で言った。
「後で、ベランダから見ようか?」
「ウン」
妹は返事をしてから俯いた。私も同じ気持ちだった。瓦が落ちたり、傾いている家が近くにあるくらいなら、きっと外はひどいことになっている筈だった。
地震が発生した後、何度となく、消防車や救急車の音を聞いているれど、近所までは来ていない。
私は父がダイニングテーブルへ置いたラジオをつけると、神戸の方が地震がひどいのではないか?という話や電車が脱線しているという情報が流れてきた。母は慌てて、三階へ行った。
珍しく、両親か声を荒げて少し言い合っていたけれど、母がすぐに目を赤くして下りてきた。
「パパ、家のこと、ちゃんとしてからおじいちゃんの家へ行くんやろ?」
妹が言うと、
「少しでも、早く行ってあげれば良いのに……」
母が涙を浮かべた目で笑った。
「おにぎり、できてからでええやん。おじいちゃんもおばあちやんもお腹、空いとるかもしれんで」
「パパと同じこと、言ってる」
そう言うと、母は涙をこぼしながら、紅茶を飲んだ。