❀ 祖母の遺志 ❀ | ぴかるんのブログ

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ピンクのポンポン


ピンクのポンポン★77



 八十歳の祖母が亡くなって、一週間が過ぎた。初七日も無事に終わり、次に親族が集まるのは四十九日だけれど、その前に新盆がある。
 自分の方が先に死ぬだうと思っていた祖父はガックリして、ちゃんと食事はしているけれど、急に認知症でも発症しないか?と、家族、皆で心配しているほどだった。

 我が家は、祖母が二四歳の時に一人っ子の母を産み、母も二四歳の時に兄を産み、二六歳の時に私を産んだ。私は二十歳で出来ちゃった結婚をして、二一歳の時に長女を、二三歳の時に次女、二五歳で三女を産んだ。
 そして兄が結婚して家を出ると同時に、家賃を節約するため、私の実家での同居生活を始めた。

 同居を始めた頃、三女が赤ちゃんだったため、育児の手が上の二人にまで回ないでいた。母もパートで働いているため、必然的に、長女と次女の世話を祖父母に頼ることになっていた。
 大人しい長女の遊び相手は祖母、やんちゃな次女の遊び相手は祖父という具合に、自然と役割分担が出来ていた。

 そんな事情もあり、祖父同様、大好きなお婆ちゃんを亡くした長女も、落ち込みがひどくて、私も母も、祖母の死を悲しむ余裕がない程だった。
 夜、母が祖父の部屋で、私は長女の部屋で寝ることにしたけれど、二人共、中々、眠れないようだった。
 父は何度も起きては布団の上に座り、溜息をついている様だった。娘は、布団の中で私に背を向けて、懸命に声を殺して泣いていた。そんな娘を背中側から抱きしめるも、私の方を向くことはなく、私の胸に背中だけを預けてひたすら、泣いていた。

 そんな娘を見ていると、祖母が亡くなったのが夏休み前で良かったと、しみじみと思った。
 祖母は優しい人だったので、その祖母に育てて貰った長女の悲しみの大きさは、私にもよく理解できた。七歳の次女や五歳の三女も、祖母が亡くなった自覚はあったようで、通夜の時も葬儀の時もひどく泣いていたけれど、葬儀の翌々日には既に涙を見せることはなかった。
 でも、長女にとっては、僅か数年を過ごしただけであっても、今の彼女の人生のほぼ半分を共に暮らして、可愛がって貰った人だった。
 そして“二人目の母”の様な存在を亡くしたのだから、哀しみは深くて大きい筈だった。

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 二七日を控えた夜、長女の部屋へ入ると、長女が起き上がった。
 「ごめんね、起こしちゃったね」と言うと、
 「違うの」と首を横に振った後、私にゆっくりと話し始めた。

 祖母は倒れる少し前から、身体に異変を感じていたらしい。何かの拍子に記憶が飛んだり、急に話せなくなることがあったらしい。
 長女は、自分がついて行くから病院へ行くことを勧めたけれど、夏の暑さのせいだと言って取り合わなかったらしい。
 そして、七月下旬にはいつもの様にタッキーのコンサートへ連れて行くからと、長女と指切りをしたとのことだった。でも、祖母が亡くなってしまったので、コンサートがどうなるまのか?ということと、遺骨と写真だけになってしまった祖母にコンサートのことを話してあげたいから、コンサートへ行きたいとのことだった。
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 元々、タッキーのファンだったのは私だった。でも、結婚し、育児に追われている間に足か遠のいていた。
 その後、大河ドラマへの主演を機に、祖母がタッキーのファンになったので、FCへの入会申し込みは私が祖母の代わりに行った。でも、その後、祖母はちゃんと自分でチケットの申し込みや、FC継続の手続き等は自身でやっていた。ただ、説明が煩雑過ぎる場合のみ、私が説明を読んであげたり、代わりに送金手続きをしていた。
 そして、長女が小学校へ入ると同時に、長女も連れ歩く様になっていた。

 一度、帰宅した長女に、
 「面白かった?」と訊くと、
 「良くわかんないけど、おばあちゃんが楽しそうだし、私みたいにおばあちゃんと来ている子はたくさん居たよ」と、ニコニコしながら言っていたので、『何でも体験しておいた方が良い!』と思っていた私は、その後も、祖母が長女を連れて出かけても、何も言わないでいた。

 時には、私も誘われることもあったけれど、コンサートは既に曲も振りも分からない状況だったし、お芝居の方は、もう何年も家事と育児に追われて、テレビをゆっくり座って見る時間の無い生活をしている人間に、長時間、大人しく座っていることは無理があると思ったので、断っていた。

 きっと、今なら、私より長女の方がタッキーに詳しい筈だった。
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 「大きいお婆ちゃんが申し込んだコンサートの日って、分かる?」
 私は娘に訊いた。娘は大きく頷いてから言った。
 「連れて行ってくれるの?」
 「ウン、勿論」
 「ありがとう」
 そう言うと、娘が私に抱き着いてきた。祖母が亡くなってから、初めて嬉しそうな声を出した娘に、私の心の糸が切れてしまった様で、その夜は私の涙が止まらなくなってしまった。

 数日後、チケットが届いた。
 長女にチケットを見せると、
 「自分で持っていて良い?」と訊いてきたので、
 「良いわよ」と言って、そのままチケットを手渡すと、長女は仏間の方へと向かった。きっと、祖母にチケットを見せているのだろうと思い、そっとしておいた。
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 そして今日は、長女と亡き祖母が楽しみにしていた日だった。二人で出かけることに、次女と三女が拗ねたけれど、
 「美味しいケーキを買ってくるから、明日のおやつに、皆で食べようね」と言って、二人の頭を撫でると、顔は不機嫌だけど、口は静かになった。どう考えても、ダンナに似たなと思いつつ、長女と家を出た。
 ただ、長女の鞄か大きく膨らんでいたので、何だろう?と思って、
 「鞄が大きいけれど、何が入っているの?」と訊いたら、
 「内緒! 後で見せるから」と言って、鞄の中を見せて貰えなかった。

 会場に到着すると、私の気持ちも興奮した。久しぶりに来るコンサート会場だけど、大勢の人達の熱気が気持ち良く感じた。

 「大きいお婆ちゃんの分も買うの!」と言い張ったので、何故かペンライトを三つも買うことになってしまった。他にも、祖母へのお土産を幾つか買わされたけれど、長女の楽しそうな顔を見ていると、来て良かったとつくづく思った。 

 入場し、席に着くと、やっと長女が鞄を開けて、中に入っていたピンクのポンポンを膝の上に出すと、全部で四つあった。
 「今はね、コレも使うのよ」と言って、私に二つを渡した。
 「大きいお婆ちゃんが作ってくれたの?」と訊くと、
 「二人で、私の部屋で作ったの。大きいお爺ちゃんや、お婆ちゃんにバレると、何か言われそうだからって、私の部屋に隠してたの。『何に使うの?って訊かれたら、運動会で使うのって言っておいてね』って。なのに、大きいお婆ちゃん、一度も……」
 長女が泣きはじめた。きっと、今日も大きいお婆ちゃんと一緒に来ると思っていただろうし、二人で一緒に来る約束をしていたのだろう。
 長女の肩を抱き寄せてから言った。
 「大きいお婆ちゃんの姿を見ることは、もう出来ないけれど、今日も気持ちだけは、この会場へ来ていると思うよ」
 長女は黙って頷いた。

 客電が落ちて、コンサートが始まった。曲と曲の合間に、思い出したことがあったので、長女に耳打ちした。
 「タッキーって、ママより一つ年上なのよ」
 長女は目を丸く大きく見開いて、私を見つめた。私は心の中で、
 「あ、やっぱり驚いてる。そりゃあね、私の方が若く見えるわよね」と思っていたら、娘が言った。
 「ママ、嘘でしょ? ママの方が年上に見えるよ。大きいお婆ちゃんに、パパとタッキーはどっちが年上?って訊いたら、パパの方が年上って言ってたもん!」

 ショックの余り、長女を置いて休憩に出ようかと思った。確かに、貴女の父親はタッキーより一つ年上だけど、そんな貴女の父親より、母親である私は二つ年下なのに……
 長女に、ちゃんと年齢の説明もせずに天国へ逝ってしまった祖母をちょっと恨んだ瞬間だった。
 祖母も、まだまだ当分は自分が来るつもりで居たと思うので、仕方がないけれど。


 もうすぐ、祖母のFCの継続手続きが必要な月が来るけれど、その時は娘の名前で新規にFCに入れてあげようと、既にステー上のタッキーの方に視線を向けている長女の横顔を見ながら考えた。



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{ 急に思い立って、別物語を書きました
帝劇、行きたい…… あの羽織も映像も観たいです/(T□T)\ ]