だから歴史は面白い | 吐き出させていただきます♪

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基本、日々の愚痴です。
もしかしたら、それ以外のことも書いてるかも?

『独眼竜政宗』おもろいわ、やっぱ

大内定綱、子供の頃は大嫌いだった

でも、大人になって見直したら・・・





政宗の三功臣と言えば

片倉小十郎、伊達成実、鬼庭綱元と思ってますが

小説とか歴史見ると大内定綱も功績は大きいですよね

皆さんご存じですか?

伊達と上杉の家紋がともに『竹に雀』と

『竹に雀』

コレが伊達の『竹に雀』



上杉のものと多少違いますが

同じ『竹に雀』

元々、伊達の家紋は『竹に雀』では無かった

なぜ、竹に雀になったか?

まだ、上杉謙信の家が長尾と名乗ってた頃のお話

当時の越後守護は上杉定実

上杉と言えば元々は京都府丹波地方の綾部が発祥の氏族

鎌倉時代に将軍下向に従い、丹波の国綾部の上杉を拝領

その後、地名の上杉を姓として名乗る

のちに子孫である上杉清子が足利尊氏の生母として歴史に登場

ここから一気に上杉氏が表舞台に登場

将軍生母の家系となるとその力も・・・

で、管領職三家の一つになる

その一つが関東管領の上杉氏

その関東管領上杉氏も

戦国の頃、定実のは子が無く

養子を迎えようと白羽の矢が立ったのが伊達実元

政宗の祖父、晴宗の弟で

政宗の父、輝宗から見たら叔父に

政宗の大叔父にあたる人です

大河で言えば竜雷太さんですね

この人が越後上杉家を継ぐはずだった

だけど、この当時伊達家は政宗の曽祖父の時代

この養子縁組に反対したのが政宗の祖父

ここで親子の争いが起きて・・・

伊達家と言えば江戸時代の『伊達騒動』が有名ですね

伊達騒動を描いた作品と言えば『樅ノ木は残った』ですね

あれも面白くて大好きな話です

で、その親子の争い『天文の乱』

親である稙宗は多くの子がおり、周囲と縁組、政略結婚しまくり

周囲は身内ばかりという状態にしてた

親は名家でもあり管領職でもある

上杉家との養子縁組に大喜び

一方の息子、晴宗は弟の養子縁組の引き出物として

自分ちの精鋭を差し出すのは大反対と

親子で家中を二分する大げんかに発展

この親子の骨肉の争いで伊達家は急速に力を失う・・・

で、この時に貰った家紋が『竹に雀』と

どうです?面白いでしょ

もしこの時、すんなり伊達実元が上杉家を継いでいたら?

そうです、長尾景虎が上杉謙信になることも無かったんです!

むしろ、伊達家から来た養子の家来になってたかも

では、その伊達から来た養子が継いでたら

越後の上杉家はどうなったか?

歴史に『IF』は・・・

分かってます、わかってますが・・・

想像しちゃうんですよね

どうなっただろうかって

これも歴史の魅力

これだから歴史は止められん