今回も結論としては「団十郎」で問題ない、ということを言いたいのですが、少し資料なども加えつつ、もう1回考え方をまとめておきたいと思います。
歌舞伎俳優の名前(芸名)の中には、旧字体(多くは画数が多い。康熙字典体など)と通用字体(常用漢字表に掲載されている漢字の場合)の2つあるものが含まれます。例えば、「彌十郎」と「弥十郎」、「團十郎」と「団十郎」(團・団がつく俳優名は同様)、「萬屋」と「万屋」などです。
ただ、旧字体と通用字体とがあるものでも、「楽」(楽善)は「樂」は使いません。「蔵」も「藏」は使いません。「樂」も「藏」も人名用漢字に含まれる字体なので、「彌」「團」と同じ条件なのにです。
こう考えると、都合のいい、わかりやすい部分だけを「伝統的」ということで旧字体にしているだけとも思えるのです。
さて、漢字の字体について、相撲と歌舞伎、それぞれ触れている新聞記事や本の記述があったので、紹介します。
まず、相撲は「琴桜・琴櫻」についてです。
【記事全文】琴ノ若改め琴櫻「桜」ではなく「櫻」…先代師匠から受け継いだ表記へのこだわり - スポニチ Sponichi Annex スポーツ
2024年4月30日のスポニチの記事です。琴乃若から琴櫻に改名をするという記者会見の内容です。
(前略)
祖父で先代師匠の元横綱・琴櫻のしこ名を襲名。略字の「桜」ではなく旧字体の「櫻」を使用することについて、祖父と全く同じ字を使うこだわりを明かした。
一部の記事で「琴桜」と誤表記されることが多いため「どっちなんですか?とよく聞かれた」という。「琴櫻」として正式に新番付が発表される前には、「琴桜」でグッズが作られることもあった。春巡業中には「琴ノ若の“ノ”を平仮名や漢字で書かれてしまうようなもの。こだわりは強いです」と熱く語っていた。小学校で習う漢字は「桜」だが、幼少期に先に覚えたのは祖父のしこ名に使われる旧字体の「櫻」の方だったという。それほど身近であり、思い入れの強い文字だった。
この日の会見後、改名後初めてのサインを披露。旧字体の「櫻」にこだわっているが、サインでは略字の「桜」だった。「筆で書くと貝2つがつなげられないので、つぶれてしまう。いろいろ考えた結果、無理でした」。よく見ると、先代師匠もサインでは略字の「桜」を使用している。
この記事のつっこみどころは個人的に2点あります。まずは、「琴桜と誤表記されることがある」という部分です。「櫻」と「桜」とは字体が異なるだけで、漢字が異なるわけではありません。つまり意味が異なるわけではなく「誤表記」というのはあやまりです。
そして、手書きで「桜」を使うのであれば、自分で「誤表記」していることにはならないのか、という点です。字体の違いだけで意味が異ならないわけで、私個人は「桜」で問題はないという立場ですが、字体が異なれば、それは漢字が違うという主張なのであれば、自分で「誤表記」と言っている漢字表記を使うのか、という疑問が生じます。
なお、手書き字体とそうでない字体(印刷標準字体や通用字体など)が異なるということはあっていいと思います。
相撲の力士の名前(しこ名)は個人の名前と違って、多くの人に理解されるべきもので、出世をすれば後世まで語られる名前です。中には代々受け継がれていきます。そのため、個人名よりも公共性が高いものです。そうだとすれば、多くの人に理解される、教育用漢字でもある「桜」でいいのではないでしょうか。
勝負の世界の人なので、画数が重要だということであれば、「琴櫻」でもいいと思います。ただ「琴桜」と書くことは否定しないで欲しいと思います。漢字を使うのであれば、漢字のルール(「桜」と「櫻」で意味は異ならない)を理解したほうがいいでしょう。
次に歌舞伎俳優名についてです。12代目市川団十郎(今の団十郎の父親)の著作『團十郎の歌舞伎案内』(PHP新書・2008)の最初に次のようにあります。
團十郎の「團」の字は「団」ではございませんので、どうぞご注意ください。でも当用漢字では「団十郎」と、こうなってしまうんです。昭和六十(一九八五)年、わたくしが市川海老蔵から十二代目團十郎を襲名するときに新聞記事の方々に、必ずこちらの「團」という字を使ってくれと頼んだのですが、「当用漢字にはないので使えない」のだそうです。(p.7)
この文中にもいくつかの誤りや誤解があります。「櫻・桜」と同様で、「團」と「団」は字体の違いであり、意味の違いはありません。また、昭和60年は、当用漢字表ではなく、常用漢字表になっており「団」の漢字を使うことはできます。そもそも「当用漢字表」では「團」が採用され、その後、「当用漢字字体表」で「団」となったものです。「当用漢字表にはない」というのは、情報として誤りということになります。確かに字体整理によって「團」は「常用漢字表」にはありません。ここらへんがややこしいため、誤解があるようです。
前の「櫻」も「團」の字も人名用漢字として使えるようになっているので、人名としては問題なく使えます。ただ問題は、公共性の高い名前であり、個人名とは異なるということでしょう。
さて、別のブログで「團の字は常用漢字表にあるようだ。それであれば、マスコミなどでも團十郎を使うべきだ」というふうに書いているものを見つけました。これも誤解がありそうです。常用漢字表には「団」が掲載されています。常用漢字表は、1981年にまとめられた第1期の常用漢字表のものは字体を「通用字体」に整理されました。一方、2010年にまとめられた第2期の常用漢字表に新たに掲載された漢字については、通用字体ではなく、印刷標準字体(康煕字典体)が使われます。「だん」「さくら」は、1981年の常用漢字表に掲載されたので、「団」「桜」となります。「團」「櫻」は参考として一覧には見える字体ですが、使う自体としては「団」「桜」なのです。つまり、「團の字は常用漢字表にあるようだ」というのは「団の字は常用漢字表にある」ということなのです。
「團は人名用漢字に含まれており、名乗りのとおりにできるはずだ」というのであれば理解できます。
では、なぜ、私は「団十郎」「琴桜」だろうというのかといえば、ここまで何回か述べている名前の「公共性」の高さのためです。特に「団十郎」はこれまで13代続いており、個人を表す名前ではありません。個人を指すとすれば、12代目とか13代目などでしょう。
先祖の初代から11代目も「團十郎」だったというかもしれませんが、「団」と「團」両方が使われていました。過去の資料を見ると両方あります。また、江戸時代では旧字体が主な字体だったのは時代的な問題です。
「團十郎」を使うのを否定はしません。しかし、「団十郎」が誤りであるというのは誤解であるということ、なぜ「団十郎」も使われるのかを理解してほしいと思います。「琴櫻」についても同様です。
