ことし行われるはずだった13代目団十郎の襲名公演がコロナウイルス感染予防のため来年以降に延期されました。

 松竹が発表した文書には「十三代目市川團十郎白猿襲名」とあります。「13代目」と「十三代目」、「団十郎」と「團十郎」の違いのほか、「白猿」という語がついています。それぞれどう違うのか、また「白猿」は何かというのをまとめておこうと思います。

 算用数字「13」か、漢数字「十三」かについては、どちらも意味に違いはありません。算用数字が一般的に使われるようになったのは、早くとも明治以降でしょう。くわしく調べる必要がありますが、「一般化」したということで言えば、昭和になってからかもしれません。日本語の文章は縦書きが伝統的で、それに合わせて漢数字で書くのが伝統的と言えます。なお、新聞は縦書きをですが、現代では算用数字を使っています。算用数字は西洋の数字の書き方で、日本では近代以降と考えていいと思います。西洋で使われている横書きの場合、算用数字を使うのが一般的です。このブログのように横書きであれば「13代目」で問題はありません。

 しかし、古い文献には、漢数字で書かれており、それにしたがって横書きでも漢数字で書こうという場合もあるでしょう。ただ、歌舞伎の古い文献に漢数字で書かれているのだから、漢数字で書かなければ「間違いである」ということはありません。なお、最初の人は「1代目・一代目」とはせず「元祖」あるいは「初代」とします。これは語としての決まりです。

 次に「団」か「團」かです。戦後の日本では学校教育やマスメディアあるいは公共の文書で使う漢字の枠を決めています。それは、日本語の難しさが漢字表記の多様性による部分もあるということで、できるだけ漢字を減らそう、限定的にしようとしたためです。戦後の民主化の一環として行われました。漢字は「日本の伝統」と言いますが、漢語は中国から入ってきた「外来語」ととらえることもできます。できるだけ和語でわかりやすく、伝わりやすくしようとしたことばの民主化といえると思います。それはさておき、現在使われているのは、2010年に決められた「常用漢字表」です。

 現代の常用漢字表では字体が複雑になってしまいましたが、もともとは「常用漢字表字体」が決められていました。「団」はその常用漢字表字体です。これを「新字体」ということもあります。一方「團」は旧字体です。中国の「康熙帝」が定めた字体に近いことから「康熙字典体」とも言われます。どちらが正しいということではなく、意味の違いもありません(常用漢字表字体と旧字体の関係で本来の漢字では意味が異なる場合もありますが、「団」「團」の場合は違いがないということです)。

 人名の場合、画数などを考えてどうしても常用漢字表字体とは違う字体を使いたいということもあります。ただ、「市川団十郎」の場合は伝統的な芸名であり、公共性が強いと考え、「団十郎」としても問題ないと思います。なんとなく「團十郎」のほうが、画数も多く、古めかしくて伝統的っぽい、あるいはえらそう、あるいは雰囲気があるなどの安易な理由で「團」の字を選ぶのは避けて欲しいと思います。どのような違いがあるのか、どのような考え方ができるのかを考慮にいれて、漢字を選びたいところです。江戸時代、明治時代の文献には「團」が多くあり、それが正しいように見えますが、それは当時は旧字体がおもに使われていたからです。「團」の字のイメージについては『謎の漢字』(2017・中公新書)にも書かれています。「團」を使う理由として、この本には、「国(口)を専らにする」という意味を持たせるために、もともと「段十郎」だった名前を「團十郎」にしたという説が述べられています。「團」の字を使うもっともらしい理由なのですが、こうした理由に関係なく、常用漢字表が通用した段階で、公共性の強い名前も含めて「團」は「団」に置き換えることにしており、漢字の意味には違いがありません。この点、問題点のすり替えがないように気をつけたいところです。なお『謎の漢字』では、「えびぞう」の漢字表記「海老」「蝦」「蛯」などの字体について述べられています。

「13」か「十三」かも同じことが言えるように思います。前に私がブログで書いた「歌舞伎は特別だから」という意識がこの表記の違いに出ているのではないでしょうか。

 最後に「白猿」についてです。これは、団十郎代々が芸名とともに引き継いでいた俳名です。江戸時代の歌舞伎俳優は俳句や狂歌を盛んに行っており、多くの俳優が俳名を持っていました。その俳名が俳優の名前になっている場合もあります(例:魁春など)。団十郎代々は「白猿」のほかにもいくつかの俳名を持っていますが、8代目5代目団十郎がこの「白猿」を俳名として使いはじめましたが主に使われているようです。13代目を襲名する海老蔵は、こうした団十郎代々のすべてを引き継ぐという意識を持って「十三代目團十郎白猿」と名乗るのだそうです。

 ここまで説明してきたように、松竹の興行名としては上記のとおりで、興行の固有名として取り上げることもできますが、一般的には「13代目団十郎」だけで十分だと言えます。

 さて、この「団十郎」の代々は、「荒事」という芸を「家の芸」として、2代目以降受け継いでいます。今、『市川團十郎代々』(服部幸雄)という本を読んでいますが、「市川團十郎の演ずる荒事の主人公は、悪疫の流行、飢饉、災厄などから生命と生活を守ってくれる江戸の守護神のような性格を帯びていた」と書かれています。こうした荒事の役割を考えると、団十郎が荒事で見せる「にらみ」の芸がさまざまな災いを取り除いてくれるのであれば、「コロナ禍」であけくれた2020年こそ、「団十郎襲名」に適していたのではないでしょうか。

 

本文で触れた『謎の漢字』(2017・中公新書・笹原宏之)のほかに下記のHPを参照しました。

 

「慶應」か「慶応」か|NHK放送文化研究所

 

追記(2020年12月14日)

 「白猿」の俳名を使い始めたのは、6代目団十郎でした。

 その部分を訂正しました。

 

追記②(2021年2月3日)

 『歌舞伎ちょっといい話』(戸板康二・1993)に「団」「團」の漢字について、「戦後、団というふうな略字になった。しかし、やはり正字でないと、市川宗家の権威がなくなる」とありました。

 納得はいかないんですが、一応、メモとして。