2022年になりました。2021年最初のブログは宝塚「アナスタシア」についての劇評を書きました。今年も、宝塚を最初に見る予定だったので、それをブログの書き初(ぞ)めにしようと思っていました。ところが、コロナウイルス陽性者がいたということで、公演が一時中止になり、見られなくなってしまいました。

 コロナウイルス感染症による劇界への影響も、これで3年目(丸2年)になりました。今年は落ち着いていくことを祈っています。

 さて、去年、円丈が亡くなってから、興味を持って読んでいる落語シリーズで、春風亭一柳の自伝「噺の咄の話のはなし」を読みました。一柳はこの本を書いて半年後に自殺しているおり、内容を見ても遺書ともいえる作品です。決しておもしろいものではなく、一柳の生まれから円生の死までの心のうちをまとめたものです。円丈が書いたのは「御乱心」でブログにも書きました

三遊亭円生による落語協会脱会のとき、円生の弟子で好生と言っていた作者・春風亭一柳は、円生と行動をともにせずに、落語協会に残りました。円生とは仲が悪いと言われていた正蔵(のちの彦六)のあずかりとして、春風亭一柳を名乗ります。好生が落語協会に残る様子は、「御乱心」にも書かれており、円丈は、この弟弟子の様子とその死を気の毒がっています。

好生(一柳)は、円生を尊敬しており、高座姿や語り口調などが円生生き写しだったようです。ただ、それが円生の若い頃の悪いくせなども写していたものだったために、円生にはうとまれていたという背景があります。一柳の書く内容を見ると、自分がこうしたい、こうなればいい方向に行けると思っていたことをことごとく師匠・円生がつぶしていったようです。まるで一柳を一人立ちさせたくない嫌がらせのようにも感じますし、一柳としては、そうした師匠の行動が、自分の存在を殺すように、自分がこの世にいてはいけない存在であることを実感させるものだったかもしれません。一方で、円生としては、嫌がらせの気持ちはない、というよりも、好生(一柳)は弟子の中でも眼中にはない弟子だったのではないかと思います。ただ、自分の若いころの悪いくせを引き継いでしまっている姿が目ざわりだったとは言えそうです。

円丈は円生の弟子への心の無さ、冷たさのほかに、円楽(先代)のずるさを主に指摘しています。一柳は円生や他人へのうらみというよりも、この世の中へのうらみというか、虚無感で満ちているように思います。それは円生の長年の仕打ちによって、うらみとか憎しみとか、悔しさとか悲しさ、楽しさがすべてなくなってしまったということだと思います。この本を読んでいると、それは円生によるものではなく、一柳自身がまねいたことのようでもあります。協会独立騒ぎがなくても、一柳の人生が上向きになっていたとは思えません。ただ、円生が弟子それぞれに心を込めていればもう少し違っていたのかもしれないとも思います。

この本を読んで思うのは、本当に信頼していた人から心ないことをされたときにそれをされた人の心が壊れるということです。私の感覚で言うと、父親、母親は絶対に裏切らないと思っています。それでもそうした絶対的な存在から、人生のはしごをはずされたときの絶望感は、その人の命も奪うことがあるのだということを知りました。それは一見、人に裏切られたとも見えますが、実は、人というよりも芸術に裏切られた、自分が命をかけてやっていこうとしたことに裏切られたということなのでしょうか。

 円生の協会独立騒動については、ほかに『聞書き 寄席末広亭 席主 北村銀太郎述』(1980)にも載っています。大旦那と呼ばれた新宿・広末亭の席主(席亭)が、自分の知っている落語家や落語界について語っています。これによると、円生の脱会はさほどひどい試みではなかったと述べています。思ったより円生への評価が高くないのは、落語そのものの技術ではなく、人間性ということのようです。

 もう少し落語関係の自伝などを読むつもりです。