2021年11月の末に、落語家の三遊亭円丈が亡くなりました。

 落語はくわしくありませんが、まったくなじみがなく過ごしてきたわけでもありません。いわゆる「寄席」には行きませんが、国立演芸場には、子どものころから年に数回は行っていました。ハナシのレパートリーなどもあまりよくわかりませんが、有名なところは少し知っている程度です。

 円丈は新作落語で知られる人です。母が好きだと言っていて、数年前の年末に鹿芝居をやったのを見に行ったことがあります。

 さて、円丈の訃報を知らせる新聞記事に、その著書として「御乱心」というのがあることが書かれていました。落語協会の分裂について書いているとのことでした。興味を持ったので、早速古本で買い求め、読みました。以下、人名には「円」を使います。落語では「圓」も多く使われます。Wikipediaなどでは、この2つの漢字を別字と捉えているようですが、「円」は常用漢字表字体であり、「圓」はその旧字体と考えられます。別字とは言えないと考え、常用漢字表のルールにのっとります。

 1978年ごろに、円丈の師匠であり、当時、落語の第一人者だった円生が、落語協会から脱会し、落語三遊協会という新しい協会を作りました。落語協会が大量に真打ちを作ったことへの反発によるものです。円生の弟子である円楽(先代)と、志ん朝などが従いました。結局、都内の寄席の席亭が、新しい協会に反対し、新しい協会の芸人は寄席に出演させないとしたため、この分裂騒ぎは、円生側の負けとして収まりました。ただし、円生と円楽とその弟子たちだけは、落語協会には戻りませんでした。そのあたりの一連の騒ぎを、円生の弟子たちの視点でまとめたのが本作です。

 円丈は、円生が弟子を信頼せずに、円楽と2人で秘密裏にことをすすめたことを批判しています。円生は名人だけれども、弟子を大切にしない、独りよがりな独裁者として描かれています。そして、何しろ、円楽を批判しています。円楽は、自分の出世のために、円生をそそのかして、弟子の人生も巻き込んだ人物とされています。円楽が円生一門を自分の門下のように扱ったり、勝手なことをしたりしたため、円生の死後には、円生の妻にも嫌われました。円生死後、その弟子たちは落語協会に戻りましたが、円楽は戻らず、また落語三遊協会という名称も名乗れなくなったため、すみれ会、円楽党などと名乗り、若竹という寄席を経営するなどしました。

 こうした騒動によって、何人もの人間の人生が違うものになり、中には自殺までした人もいます。

 円生の名前は止め名になっていますが、楽太郎が円楽をついだころから、また円生襲名が話題になりました。先代円楽が、円楽を楽太郎に、円生の名前は同じく弟子の鳳楽につがせることにしたことがその理由です。これに対して、円丈が円生の襲名に手をあげました。

 「円生争奪杯落語会」という落語会が開かれたのはこういうことがあったからです。このとき、円丈のほうがおかしいという記事を読みました。それも、円丈からすれば、円生の名前を円楽がどうにかできるわけがないということでしょう。

 落語協会分裂事件のときの当事者が亡くなり、ことしは、さん生といっていた川柳川柳が亡くなりました。そのせいか、今の円楽が、円生の襲名について語ったという記事が夏に出ました。そして、秋に円丈も亡くなりました。これで、円生の襲名がだれかによって行われることになるかもしれません。

 『御乱心』は暴露本として軽く見られることもあるようですが、内容は、落語を愛し、師匠と尊敬した落語家たちの悲しい心のうちを描いたもので、暴露本というのは気の毒だと思いました。

 自分たちの人生が知らないところで、そして、なんの愛情も持っていない人によって決められることの悲しさと、何しろその芸に惚れ込んで弟子になった師匠が、まったく自分たちのことを思ってくれていないとわかったときの、寂しさとやるせなさを考えると、気の毒です。落語家たちが、芸を愛していることがよくわかります。

 さて、この本を読んでことばについて考えたことをまとめておきます。

 ・「大見得を切る」の使用

 ・「たんか」について「たんかの一言でもいってほしかった」とあり「たんかを切る」は使っていない。「~を切る」のことば全般を検討すべき。

 ・そのほか、落語界の隠語の使用もいくつかあり、興味深い。