夜寝る前に読む本として、ここのところ戸板康二の推理小説を読んでいます。

『團十郎切腹事件』(「だん」の字は、謎解きに必要なので旧字体を使用)に続いて2冊目です。このシリーズは5冊あって、全部読んでおこうと思っています。

 歌舞伎のことばと無関係のように感じられる推理小説ですが、戸板康二の本は基本、なんでも全部読んだほうがいいと思ったのと、推理小説でも、歌舞伎俳優がなぞをとくので、いろいろな歌舞伎用語が使われます。それを資料にできそうなので、ことばの収集のためにも読んでいます。

 さて、このシリーズは、中村雅楽(がらく)という老歌舞伎俳優が、竹野という新聞の文芸部記者、あるいは江川という刑事とともに、事件のなぞをとくという趣向が主になっている、短編集です。今回読んだものは、シリーズの4冊目、28編の短編が入っています。刑事事件になるようなものは少なく、歌舞伎界の小さな事件を雅楽がといていくという内容のものがほとんどです。最後に、「演劇史異聞」というのがあり、これは、江戸時代の歌舞伎俳優の伝説や事件を、雅楽なりの解釈で読み解くという内容です。

 歌舞伎の知識があると、伏線から最後までが早い段階で読み解けてしまうものばかりで、その点推理小説としては、魅力に欠けるような気がします。また、いずれの短編も展開が似ており、単調に感じます。

 そして何よりも、雅楽という人が何歳ぐらいなのかがまったく読み取れないため、主人公に入り込めないところがあります。なぞの人物でもいいのですが、時代を感じさせる実在の歌舞伎俳優の名前も出てきますし、ついついこの人はいくつぐらいの人で、どのような俳優をモデルにしているのだろうか、と考えたくなります。しかし、短編の内容によって、かなりの老人のようにも見え、一方で、もう少し若くも見え、どうもはっきりしません。年代を整理していけば、はっきりするのかもしれません。また、歌舞伎という現実からは離れた世界の話であることを示すために、わざとぼやかしているのだとも思いますが、読み手としてはストレスです。

 ことばづかいも、古めかしいのですが、そこも、年代がわかってくると納得できるのかもしれませんが、わからないと違和感につながります。

 雅楽の年齢を推測するには次のようなポイントがあります。

 

 戸板康二は、1915年生まれで1993年になくなっています。

 戸板は竹野であると考えて、竹野よりも年上の老俳優。

 1958年~60年には、まだ歌舞伎に出ていたが、夏祭りの三婦などを演じている。

 1991年に書かれているものが最後で、このときには、竹野は新聞社を退職している。

 竹野と雅楽がともに事件をとき初めて30年から40年ほど。出会ったときから老俳優。

 6代目と初代吉右衛門の「伝授場」に出演。

 15代目羽左衛門を15代目と呼ぶ。(おじさんとか、お兄さんとかとは呼ばない)

 大阪の型、東京の型、あらゆる型に精通している。

 

 こういうことを考えて、1900年ぐらいの生まれでしょうか。

 明治33年生まれということは、私の祖母より5歳ぐらい上です。1990年でも健在でしたが、雅楽は元気がよすぎます。どこかで時が止まっているような印象です。それに加えて、歌舞伎俳優の生活や、それをとりまく状況などの描き方が古いので、パラレルワールド的な感覚をいだかせます。

 それは、最初に書かれたときから、最後に書かれたときまでの時代の変化、また、2020年になって読んでいる私の感覚の違いということも影響していると思います。1960年代に、この作品が初めて書かれたころであれば、まわりの状況と合っており、違和感がなかったのだろうと思いますが、1990年になると、歌舞伎界の様子がより一層、古めかしく感じられ、時代設定がわかりにくくなってしまったのでしょう。とくに2020年の現代では、6代目や初代吉右衛門ははるか昔の人です。時代に合わない作品ということでしょう。

 内容以外で言うと、歌舞伎用語の使い方や、その解説などは、資料として使えそうです。歌舞伎用語以外でも、「銀ブラ」ということばを「古いことばを聞いた」「珍しいことばを知っている」などと表現されていたり、「ガールフレンド」をハイカラなことばとして言っていたりと、大正生まれの作者の語の感覚がわかり、これも資料としては適していると思いました。

 細かいようですが、『京美人の顔』に「いい耳ざわりだったので」という表現が出てきたのは意外でした。「みみざわり」の誤用と言われる表現です。「耳触り」とでも書く言い方を戸板康二が持っていたのでしょうか。「耳あたりがよかったので」が順当だと思います。

 もう1点、女性を美しいかどうかで判断するという感覚が、明治や大正生まれの東京の人にありがちだとなつかしく感じました。出てくる女性が基本としてみんな美しい設定なのですが、そこが作者の年代を感じさせるのです。

 私は、その感覚を「なつかしい」と感じます。祖父母の年代の人はみんなそうだったことを思い出しました。