春学期の担当科目のなかで「現代日本語文法A」(水曜2コマ)だけは最初の2週間にオンライン授業を行わずに、資料を読ませて感想を書かせる方式を採ってきました。でも、他のオンラインのどの科目よりも最も準備に時間をかけたのはこの「現代日本語文法A」でした。

 

教科書を読ませて書かせる方式ということならほとんど通信教育と同じです。ところが、この科目は特定の教科書を決めていません。それは、本当の文法の楽しさを教えてくれるいい教科書にまだ私が出会っていないからです。誰か特定の文法学者が著した文法書を教科書に指定すれば、結局その文法を「覚える」ことに終始してしまうでしょう。しかし、「覚える」文法ほどつまらないものはありません。文法というものは見る角度によっても変わるし、その文法の用途や目的によっても変わるものです。だから、いろいろな見方を試して自分の頭で「考える」ことのなかに、本当の文法のおもしろさがあります。それを、この科目を通して学生に体験させたいのです。

 

もちろん大学院生以上の文法研究者はすべて「考える」文法を実践しています。新しいオリジナルなアイデアを見出さなければ文法の論文は書けないからです。しかし、彼ら(私も含めて)が考えるフィールドは専門的すぎて日常性からかけ離れているのが実情です。そうではなくて、高校までで「覚える」文法と同じ日常性のフィールドの範囲内で、「覚える」文法を「考える」文法に転換していくことで、文法研究者を目指すわけではない学部の受講生たちの日本語の使い手としてのニーズに応えられると考えています。そして、それを目指して、専門家の文法学者の研究のなかから日常性のレベルで語れる範囲のものを抽出するように心がけています。

 

そんなわけで、『楽しく考える日本語文法』と題する新しい教科書を執筆するぐらいのつもりで、スライドの1枚1枚を作り込んでいるので膨大な時間がかかるのです。昨年もほぼ同内容の授業を行いましたが、昨年のスライドはいわゆるレジュメ方式で例文や図表だけを載せて、発問や説明は口頭でやっていたのですが、今年は発問や説明を全部スライドに書き込んでいったため、スライドの枚数が昨年の2.5倍ぐらいまで増えました。やはりリアルタイムオンラインで口頭で説明したほうが楽と言えば楽ですね。どちらが学生にとって有益なのか、学生の意見も聞いてみたいと思います。

 

各項目の最初の問いかけは国語文法(=学校文法、橋本進吉文法)の復習です。ここで、学校で習った動詞の五段活用の未然形・連用形・終止形・・・・などを思い出してもらいます。しかし、この問いかけはウォーミングアップにすぎません。この国語文法のなかで当たり前に使われている用語について、いろいろな問題提起を問いかけ、「考える」ことを促します。

 

例えば、「平和、静か、近代的」などの語彙を国語文法では「形容動詞」という独立した品詞としていますが、この品詞の存在について問題提起します。これらの語彙は語構成的には名詞の特徴を持ち、その活用はほとんど名詞述語と共通しています。しかし、意味・機能においては「平和な国、静かな町、近代的な都市」のように名詞を修飾する機能を主とする形容詞と同じ特徴を持っています。それで、この語類を「名詞的形容詞」や「形容名詞」などの名称で呼んだ文法学者もいました。日本語教育では他言語の品詞と対応させるために意味・機能を重視して形容詞の一種「ナ形容詞」(名詞を修飾する連体形が~ナの形だから)と見なします。

 

しかし、そのように名詞を修飾する機能を主たる根拠として形容詞を認定するのであれば、「真紅の優勝旗」、「抜群の能力」、「指折りの存在」の下線部も形容詞の一種と見なすべきということになります。そして、文法学者の村木新次郎氏はこれらの語類を「第三形容詞」と呼ぶことを提唱しました。名詞らしい名詞は「犬が歩いている」の「犬」のように文の主語になるのですが、これらの語は文の主語にならない、つまり、「真紅が~」、「抜群が~」といった文が作れない点でも名詞の名詞らしさを持っていないことが見て取れます。

 

同じように、「赤いきつね」の「赤い」が形容詞なら、「緑のたぬき」の「緑の」を形容詞と呼んでもよいはずです。これも村木氏の「第三形容詞」に含まれます。ちなみに英語の色彩名称は red も green もそのほかもすべてadjective(形容詞)であって、noun(名詞)の位置には立ちません。

 

文法学者の高橋太郎氏も一部の名詞に形容詞の性質が現れることを指摘しました。例えば、「友だち」という名詞は「明子は花子と友だちだ」のように、ト格名詞を取るので「花子と親しい」と似て形容詞的だ、とか、「美人」は「とても美人だ」や「もっと美人だ」のように程度副詞で修飾できる点で形容詞的だと論文のなかで主張しているのです。

 

このように、名詞は何、形容詞は何と「覚える」のではなく、どういうことが名詞の性質で、どういうことが形容詞の性質なのかを「考える」ことを促しているのです。

 

授業アンケートを読んでみると、文法を「考える」ことの楽しみを共有してくれた学生たちの感想に多く接することができ、時間をかけた甲斐があったと感じているところです。ただ、ちょっと準備に時間をかけすぎているので、5月第2週からはオンライン授業に切り替える予定です。

 

『日本語文法事典』(大修館書店、2014)の執筆にも関わらせていただきました。