年の初めに | 私のピアノライフ  with classical music

私のピアノライフ  with classical music

ピアノ練習、コンサート等で感じたことを気ままに語っていきます。

2024年の初めは、大変な出来事が次から次へと起こり、心穏やかでいられません。

 

元旦の午後、突然のスマホからの緊急地震速報の音は、本当にびっくりしました。そして、おバカなことにピアノの下にもぐろうとした私。数秒後には、ダイニングテーブルの下に変更しましたが…。

後で、ピアノの足が折れて下敷きになることもあるから、ピアノの下にもぐるのは危険だと知りました。

震源地からは離れている地域なので、最初の地震で震度4を記録したものの後は、揺れを感じる地震はありませんでした。当然、なんの被害もなく過ごしています。それにしても、緊急地震速報の音は怖かった。能登の人は、何度も警報音とともに揺れの中にいるんだなと思うと、切ない気持ちになります。

 

2日は、常滑の私の実家へ。義妹の出身地は新潟なので、地震の影響が気になって聞きましたが大丈夫とのこと。新潟も過去に大きな地震で義妹の実家の家は倒壊し、今は立て直して住んでいるものの、家が建つまでの日々は大変だった話を聞いています。

今のところ、私は被災経験はありませんが、夫は子供の頃、伊勢湾台風で2階近くまで水がきて、水が引くまでかなりの日数を要したようです。(義父母から、聞きました。夫は小さな子供だったので、細かいことは覚えていない。)

 

話は変わりますが、実家で親戚の人たちとくつろいでいると、JAL機と自衛隊の飛行機が事故を起こし炎上。しかし、飛行機に乗っていた人は全員無事に脱出できたニュースがテレビで放映されていました。

地震と違い、こちらはヒューマンエラーが引き起こしたものなので、事故原因を調べるうちに、自衛隊の機長が、管制官の指示を間違えてとらえたようで、罪を科せられています。なんだかとても気の毒で、たまりません。人間はミスするものだという前提に立ち、安全装置の設置や運営の見直しが行られることを望みます。

 

この事故の後、羽田空港が閉鎖されました。そして、後続の飛行機は別の飛行場に着陸せざる負えなくなりました。実家を午後8時過ぎに出て、常滑駅から名鉄電車で家に帰りました。常滑駅を通過するミュースカイ(特急電車)の座席がほぼ埋まっている。そして、次の特急電車も人がいっぱい。きっと、羽田空港で降りることができず、セントレアに飛ばされてしまった人たちが乗っているのでしょうね。お正月にこんなに名鉄電車がいっぱいだったことはなかったなあ。

この緊急事態にJR東海が臨時の新幹線を出すという話を聞いた時、いきな計らいだなと感動!

 

飛行機で非常時に遭遇した時の心構えや、身なりをどうすべきかということも今回の事故で勉強になりました。

 

波乱万丈な出来事から始まった2024年、辰年。人間は順調な時は何も考えないけど、ピンチな時、大変な思いをした時の記憶はずっと残ります。そして、その後の人生の糧になると思います。